森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

フランス国立リヨン管弦楽団 『オルガン付き』

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フランス国立リヨン管弦楽団
指揮:レナード・スラットキン
ピアノ:小菅優
オルガン:石丸由佳
 
2014年7月19日 東京芸術劇場
 
 ピノ協奏曲ト長調
 
 交響曲第3番『オルガン付き』
 
 
 
 
日本ではほとんど話題に登ることのないリヨン管弦楽団です。私も普段であれば演奏会場で配られる大量のチラシの中でスルーしてしまうはずの物だったでしょう。
ところが強く目に止まったのは、やはりよく知りもせず聴きに行った昔の演奏会が明確に蘇ったからです。
 
1979年、セルジュ・ボド率いるリヨン管弦楽団の初来日を私は聴きに行っていました。曲目が奇しくも同じサン=サーンスの『オルガン付き』。今回注意を引かないほどボンヤリはまだしていません。
その初来日演奏会の事はネットにも情報が全く無いので後で書き記すことにしましょう。
 

さて今回の演奏会ですが、正直言って演奏そのものに大きく期待していたわけではありません。
日本人を母に持つ準・メルクルが常任指揮者を務めたことで少し話が聞こえた程度で、ヨーロッパのオーケストラとして決して評判が鳴り響いていたわけではありません。私も一枚もCDを持っていません。またスラットキンも正直、私の好む指揮者ではありませんでした。
昔、未熟ながらとても愛らしい個性を聴かせてくれて、今でも『オルガン付き』を聴くたびに必ず記憶の端に登るオーケストラがどのように成長しているのか、同じ曲で確認してみたい。
そういう思いでチケットを買ったのです。
 
曲目は、趣味の良さが強く問われる『マ・メール・ロワ』から始まります。
 
とても個性的な音です。
予習に聴いたパリ管弦楽団の明晰できらびやかな音とは対照的で、柔らかく暗くステージに深淵が開いたと感じるような深い音です。
フランスの音楽と言えば先入観として印象派に合うデリケートな音を想起してしまいますが、フランスにはカトリック精神もあればアバンギャルドもあるし、型に因われない、もしくは無数の型(モードやイスム)があるのがフランス流、とも言えるでしょう。
 
それで、『マ・メール・ロワ』は子供向けのお伽話というよりは大人のロマンを感じさせるエレガントな居ずまいを聴かせるのです。
あまり個人技が達者なオーケストラではなくカラフルで軽快な演奏とは言えないものの、そんな批評は差し置いて感覚的充足感を得られるとても好ましい演奏です。
 
 
軽快なト長調のピアノ協奏曲は小菅優さんの柔らかいリードにオーケストラの姿勢も変わって、私の無責任な先入観どおりのフランス風デリカシーに近づいたように感じました。
なにしろピアノが導入部で余りに繊細な世界を築きあげてしまいオーケストラがそこへ慎重に足を踏み入れなければならなくなってしまっていたのですから。
 

さて後半の『オルガン付き』。
 
緩やかな音ではあっても『マ・メール・ロワ』とは違う高いテンションで始まりました。ラヴェルとは違ったモードにシフトしたようです。
金管楽器の発音が柔らかく小回りも余り利かないため咆哮を聞かせることはありませんが、オーケストラ全体がコクの有る音色を壊さないまま壮大に盛り上げるといったスタイルで充実感を演出していました。
 
モダン面のオルガンはオーケストラに大変マッチし違和感がありません。
以前サントリーホールのオルガンをパリ管弦楽団で聴いた時には野放図なけたたましさで、第二楽章後半の出だしでは会場中から「ひゃっ!」という驚きの悲鳴が聞こえたものですが、今日は強いながらも楽音として美しい音でした。それがオーケストラの美しい力奏と相まって充実した演奏です。
 
おそらくこの曲に魅了されてすぐの人は、スポーツ的な迫力の不足に不満を感じるでしょう。しかし私はもう、トスカニーニミュンシュの録音がオーケストラが表現できる最大の迫力であってあれ以上を期待してはならないのだと納得して久しいので、今回のこの演奏は全く違った味わい方で楽しめ、感銘を受けました。
何よりも強く思ったのは、日本の一級オーケストラの方がずっと上手だけど音色を崩さずに常に香気を漂わせているなんていうことは、フランスの地方オーケストラでしか持ち得ない美質なのかもしれないということです。
パリ管弦楽団オペラ座管弦楽団も洗練と国際化の過程で失くしたものがここには残っていると感じます。
 
弦楽器の魔神のようなパワーも管楽器とオルガンの耳をつんざく轟音も終演後の万雷の拍手もバレンボイム・パリ管の方が遥かに優っていたけど、この美しい『オルガン付き』は音楽鑑賞の領域を広げてくれました。

 
 
 
[2014-7-21]