森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

セル・クリーブランド管 『イタリア』

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 フィンガルの洞窟
 夏の夜の夢
 交響曲第4番 イタリア







ちょっと訳あって久しぶりに聴いてみたこのCD、言わずと知れた『イタリア』の代表的名盤と呼ばれているものです。改めて聴いてみると以前よりさらに魅力的に聞こえます。

セルとクリーブランド管弦楽団の演奏は「室内楽的アンサンブル」とか「完璧主義」とか「セルの楽器」とか言われますが、一方で硬質で窮屈などとも言われます。器楽で精緻な演奏を窮屈とはあまり言いませんがオーケストラだと言われてしまうのはやはりオーケストラ演奏には開放感やゆとりを求めてしまうからでしょうか。そう言う私自身も時々そんなジレンマを感じることを告白しなければなりません。

この録音ではセル&クリーブランド管弦楽団の美質の方が遥かに上回っているのを感じます。
1957年録音の『フィンガルの洞窟序曲』の冒頭から柔らかく深く仄暗い音楽が流れてきて引きこまれます。無人島の岸壁にできた洞窟。訪れた人の畏敬の念。ゆらゆらと揺れる波。それらを彷彿とさせる豊かな表情はエキセントリックな完璧さとは対極にあるものです。

1967年録音の『夏の夜の夢』は描写の豊かさもさることながらシェークスピアの戯曲に相応しい格調を備えています。表情に乏しい窮屈さではなく、配慮の行き届いた高潔さです。

彼らのアンサンブルの完璧さというのは単に拍子が揃っているということではなく、どんな細かい味付けも意志が統一されているという意味です。ヴァイオリンとホルンのように離れた楽器同士でもアッチェレランドもリタルダンドも、一つのニュアンスの実現に完全に意気投合しています。
さらに耳を傾けて気づくのはアーティキュレーションが柔らかいことです。
揃っていてキビキビしているのでメリハリはっきりしていると錯覚しがちですが、発音も抑揚も柔らかいのです。
どの一音も全く遅延の許されないような合奏で柔らかい音を出すのは大変な余裕が必要なはずです。
フィンガルから10年の間に獲得した能力の大きさも感じられる演奏です。

こうした美質が凝縮し輝きを放っているのが1962年録音の『イタリア』の演奏です。
実は私はメンデルスゾーンの音楽に対して「ドラマも情感も薄味で何の問題提起も無く小奇麗で退屈な音楽」と感じていたのですが、この『イタリア』でその見方が覆ったのです。
沢山の煌めきと完璧な調和。まるでモーツァルトの様に疾走する愉悦感。モーツァルトには無い大人の洗練=人工美。そういった、作曲技術と持って生まれた資質の両方が最高度のマリアージュをした時だけに現れる芸術に気づいたのです。
セル&クリーブランド管弦楽団の世界にはドボルザーク交響曲三部作の郷土的な響きを入り口として足を踏み入れましたが、素晴らしい処まで連れて行ってもらえました。


[2014-5-25]

それにしても彼らの録音は乾いたサウンドが悔やまれます。セヴェランスホールは1958年の改修でマトモな響きになっていたはずなのだけど。