森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

1979年4月 リヨン管弦楽団日本公演(オルガン付き)

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1979年4月
リヨン管弦楽団日本公演


 牧神の午後への前奏曲
 交響詩“海”

指 揮:セルジュ・ボド
1979年4月21日 日比谷公会堂



私が当時サン=サーンスの『オルガン付き』を聴いていたのはミュンシュ、マルティノン、アンセルメあたり。
しかしオシャレなアンセルメは血気盛んな高校生には物足りなく、マルティノンはミュンシュの後に聴くと勢いはあるけど細く感じてしまい結局ミュンシュが決定版、となっていました。
それはその後バレンボイムデュトワを聴いてからも同じ。カラヤンは音響的壮麗さに偏り流麗さが損なわれていてペケ。(結婚式の入場には整って壮麗なデュトワの第二部後半を使いました)

どうして高校1年生が来日オーケストラのチケット2枚を購入できたのか覚えていないけど(親に頼った記憶はない)、パイプオルガンと連弾ピアノ付きの凄まじいオーケストラ曲を生で聴けるチャンスなんて滅多にあるものではない、と貯金をはたいたのかもしれません。
会場は響きの貧しさに世評最悪であった日比谷公会堂。私自身、ヘルマン・プライの『冬の旅』全曲リサイタルで全ての音程がぶら下がって聞こえるという拷問を受けた記憶もあります。
しかもここオルガンなんて無いよね?
多大なる不安を脇へ置き、本場フランスのオケのサン=サーンスドビュッシーという未知の体験に期待に胸をふくらませて出かけました。
ああ、そうだった。指揮者として、ピアニストを啓蒙するために同行するとうい重要な目的も持っていたのだった。

さて、そんな大きな期待を持っていったせいかその日の事は鮮明に覚えています。
会場に付くとあのせせこましいロビー(と呼べるなら)を通り抜けてホールに入ります。
途端目に入ったのはステージにちょこんと乗った電子オルガンのコンソール。当時家にそれなりの大きさのエレクトーンが有ったこともあり、その姿にがっかり。
「ヤバイ」と感じつつも、大ホールの海外オケ演奏会なんだから特別凄い音の飛び出る電子オルガンなのかも、と気を落ち着かせます。

リファレンスがミュンシュボストン交響楽団による空前絶後の爆演になっていた愚かな私は、音が鳴り出した途端「なよなよしている」と感じました。
予感めいた弱音であるはずの出だしは、フワッと広がりのある音です。循環テーマが始まると途端に緊張が高まるはずが、そのままゆっくりで呑気。
日比谷公会堂のせいもあるでしょうが、サウンドの余白が目立ちます。
個々の音は膨らみがあるのだけど、弱々しいと言ってもいいほど柔らかく、丁寧すぎるフレージングで途切れる広がり。
開始30小節ぐらいで今日は迫力や緊張は求められないと完全に察しました。
しかしそれと同時にこの曲で初めて、こういう味わいも有りなのかもしれないと感じ始めたのです。

森をなぎ払って進軍するようなミュンシュの演奏とは別の土台に立った完全に別種の感性で奏でた音楽に少し私の感性が歩み寄った形です。
そして私は隣の人に「いい演奏だよ」とそっと告げたのでした。

例えてみればラウル・デュフィの水彩画。
薄めで沢山の色彩が輝くような白の画紙の上でダンスを踊り、それぞれの絵の具の濃さの何倍ものダイナミックを生み出す。
奥行きは深い色が生み出すと思っていたけど、デュフィでは白さがどこまでも向こうへ突き抜けて行く。
その手前の色彩たちのなんと爽やかな躍動。清冽な色彩の音楽。


この日のリヨン管弦楽団の演奏はデュフィほど輝いたわけではなかったけど、普段聴いている日フィルや新日フィルとは完全に違った音楽体験をさせてくれました。
そのアプローチは、敢えてサン=サーンス交響曲を前半に持ってきて後半にドビュッシーを置いた事からも、迫力の大団円には全く興味のないことは明らかです。
その当時サントリーホールはまだ無かったけど、その演奏をそのままサントリーホールに持ってきたらどんな妙なる色彩が生まれていたかと考えると惜しまれてなりません。
それは、先日のスラットキンとの演奏よりも遥かに軽妙洒脱の粋な演奏であったことは間違いありません。

電子オルガンの音はオーケストラを遥かに上回る音量も出せたけどそれは不適切で、無機質な音質はオケの息遣いとは馴染みませんでした。その後、宗教曲などでも何度か同様のスタイルを経験しましたが、納得できたことはありません。

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[2014-7-27]