森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

デュフィが陶器に化けた件

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左上:桜窯(波佐見焼
右上;桜窯(波佐見焼
左下:金剛窯
右下:窯元不明:美濃焼

汐留までラウル・デュフィを見に出かけた直後、上野公園で陶器市をやっているという情報が入る(全国大陶器市)

 

毎年、桜窯の黒崎昭敏さんから来る知らせのハガキが来てないなあ、今年は来ないのかも・・と訝しがりながらも汐留の前に上野へ。
会場は天候が悪いせいか、超が付かない混雑。良かった。一般の物産は少なく、陶器ばかり。探索意欲が高まります。

 

成果は上記の通り

 

桜窯さんの平たい皿は昨年スパゲティを盛ろうと思って買ったのを、人にあげてしまったのでリベンジ。
白は白でもこの微妙はベージュがかった色と風合いが好き。で、猪口もすでに持っています。

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桜窯さんとの出会いは2013年1月の長崎空港ロビーでの展示販売。以来毎年欠かさず上野でお世話になっています。一期一会。

 

同じく桜窯さんのマグカップも同デザインの猪口を持っています。f:id:GiddyForest:20191006184739j:plain

ぼくは単色の焼き物が好きで、このようなちょっとサイケな感じは好まないのだけど何故か桜窯さんのものはスッと入って来る。職場で使用予定。 

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桜窯さんではお椀が前のイベント(八王子らしい)で売り切れてしまったとのこと、近くの金剛窯さんで手に取ったお椀は藁灰釉の素朴で美しい居ずまい。


「私が焼きました」と声をかけてきた金剛稔明さんに「一周してくる」と言い残して散策するも戻ってきて購入したもの。
やはり一期一会。
先週実家に買って行った魚沼コシヒカリが「キラキラ光っていておいしい」と言う母に、そのコシヒカリを食べるように買ったもの。この藁白の中心でコシヒカリの新米は一層輝いて見えることだろう。
いつ渡せるかわからんけど。

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ちなみに金剛さんは値引きしてくれて「1800円でいいですっ!」「でも消費税100円はもらいます!」

??・・まいっか。とうもありがとうございました。

 

美濃はどんぶり。バルクで窯元不明。ラーメンとかうどんとか、レトルトカレーなどを職場で調理して食べるときのために購入。
よく見かける一部が透き通った湯呑と似ているが、丸いのはあくまで模様。
多用途のものはシンプルイズベスト、だと思う。現在のは信楽の唐草かなんかでちょっと使いにくい。

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ちなみにこの店の見解では、米汁や糠で煮るというのは「そんな事しなくていい、今は!」ということでした。ただし萩焼は焼きが浅いので水分が残っており、ケアが必要。レンジも内部の水分が膨張するので良くないとの事。

 

で、デュフィには行かなかったという顛末・・・・

 

[2019-10-6]

FOSTEX HP-A4BL レビュー

以下のレビューは数年前に書いて放置していたものですが、はてなへの引っ越し記念と書き込み練習のためにアップいたします。

FOSTEX HP-A4BL

寝室でのヘッドホン観賞用に購入。
ノートPCの直出しでしかHD700を鳴らせないのはもったいないのでバランス接続を試してみる意味でもHP-A4BLを買ってみたわけです。
その前に使っていた「DR.DAC2 DX TE」は凄い解像度で元気な音だけど、クラシック音楽に潤いやコクが感じられず手放しました。

 

試聴ソフト

イブラギモヴァ イザイ無伴奏ソナタ第3番
ハイドシェック ベートーヴェンPソナタ32番
インバル都響 マーラー5番(DSD2.8)
FOSTEX-AudioPlayer利用

ヘッドホン

SENNHEISER HD700, HD650

DENON AH-D5000

 

まずアンバランス HD700, HD650, D5000

アンバンランスでのHD700はとても上品に、嫌な音が鳴らずしなやか。
クリアで適度な倍音が美しく、ピアノもヴァイオリンも音色そのものを楽しめる。
低音は柔らかく膨らむがきちんと制動できている印象。バスパワーではないからか、HP-A4でよく言われる馬力のなさは感じられない。

 

ホコリを被っていたDENON AH-D5000に変えてみると、このヘッドホンの細すぎる高音とダブついた低音がある程度改善され大型スピーカーのようなオーディオ的醍醐味が感じられるようになった。
比べるとHD700の低音の筋骨感が際立って、ある局面ではそれが欠点のようにも感じるが、表情の豊かさ堀りの深さでは遥かにHD700の方が上でありD5000に安物感すら感じてしまったのだが、捨てるには惜しい気持ちも湧いてきた。

 

HD650は短所を補ってくれると予想したのだがそうではなく、くぐもって魅力がないと感じる。30分ぐらい聴きこむとやや耳が慣れて音楽に入り込めるようになる。しかし中高音の美音が無いので物足りなくなってしまった。

 

HD700バランス

ヴァイオリンの雑音。胴の鳴り。ピアノのペダルを踏む音など雑音が増えても耳障りではなく、むしろ実在感や生命感が増して好ましいと感じる。
マーラーのラストはアンバランスでは音の渦に巻き込まれて細かく聴き取れない印象だったのが、同じかやや大きいくらいの音量では、たくさんの楽器が目に見える印象(アンバランスとバランスでは出力レベルが違うため音量を揃えて試聴したいのだが、聴こえる印象が違うので同音量に合わせる事ができない)
ハイドシェックのピアノがクリスタル。アンバランス時はアクリルだったことに気づく。
低音は出す時も止む時もタイムラグが無くなって躍動感と迫力が増している。
アンバランス時の美質はより大きくなり、さらに解像感と力感が加わった印象。

 

DENON PMA-50 との比較、スピーカーとの比較

対照実験としてDENONのPMA-50をfoobar2000のfoo_dsd_asioで同じソースを鳴らす。


どの音域もことさらに良くも悪くもなく欠点は感じない。「これが正しいんですよ」と教条的に鳴る。しばらく耳を慣らしても印象変わらず。
ピアノはもう、木にくくられた金属が鳴ってる印象。そりゃそうだ、正しい。そしてつまらん。ヴァイオリンは雑音も楽音も十分に、何も突出せずに聞こえる。マーラーのトランペットも遠めにキチンと解像し大太鼓は皮の張りと威圧する低音も聞こえている。輝かしくはないが。


HP-A4BLの美しすぎる音が嘘臭くも思えるが、それの何が悪い、とも思う。

 

そのPMA-50でZENSOR3を鳴らすと、意外にも「HP-A4BL + HD700」に近くガッチリ低音に乗った美しい中高音だ。TAOCの鋳鉄ベースの上にコーリアンボード3枚と同じくTAOCの鋳鉄インシュレーターを置いてかなりギンギンになっているからか。この音が好きだ。

公平のためにHP-A4BLもfoobarで鳴らしてみるが、印象を覆すものではなかった。

 

検証の結果、HP-A4BLバランスは嘘臭いほど美しく激しくカッコいい音だとわかった。

PMA-50でヘッドホンを楽しもうという気が全く失せた。まあZESOR3を鳴らす場合は気に入っている(ここぞという時はDENON PMA-S10IIILという古参プリメインがでかいスピーカーを鳴らしてくれているが)

 

生音との対比

最後に実演との比較であるが、私は都響定期会員を何年もしていて都響の音はかなり耳に残っているつもりなのだが、今回の比較試聴で実際のサントリーの10列目や東京芸術劇場の中2階前列(芸劇で1番音が鮮明なエリア)での音に近かったのは圧倒的にPMA-50+HD700である (-_-;) (-_-;) (-_-;)
イブラギモヴァのイザイも王子ホールの7列目はPMA-50。ただし所沢ミューズの3列目はHP-A4BL。

 

以上です

小泉和裕&都響のブルックナー2番

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エロード:
 ヴィオラ協奏曲 op.30
   (ノヴァーク版)

指揮:小泉和裕

2014年9月19日 
東京芸術劇場コンサートホール











ブルックナーの中でもマイナーな第2番。最近聴き込んだのはインバル指揮・都響のライブ演奏CD。
同じオーケストラでどう違った音楽が鳴るのかもクラシックの楽しみです。

インバルの方は細部を徹底的に作りこんだ上で立派な構えまで積み上げる姿勢に凄みさえ感じる演奏で、指揮者のイメージが赤の他人で外国人である多数の楽器奏者を通してここまで具現化できるのかと、驚嘆の念を禁じ得ないほどの仕上がりぶりです。

対する小泉さんはとても大らかな音楽をする人で、音楽の愉悦を感じさせてくれる指揮者と認識しています。

ブルックナーらしくこの曲も開始は勿体振ってモゾモゾとしているのですが、小泉さんはハッキリクッキリ始めます。
以下、ずっと楽天的と言ってもいいほど大らかに進んでいくのですが、小泉さんが素晴らしいのは決して大らかが大雑把ではなく、常に生き生きとした表情を持っていることです。
基本は明るいけど重量感も十分に備えたサウンドブルックナーにふさわしく、第三楽章が鳴り止んだ後など「カッコイイ!」と唸ってしまいそうでした。

ブルックナーはデュオニソス的な面とアポロン的な面が交互に現れたりしますが、ここではもっぱらアポロン的な表情を見せて幸せな音楽です。
オーケストラは演奏家個人個人の気分の増幅器ですから、小泉さんはそういう朗々たる生命感を奏者に伝える天賦の才能があるのでしょう。これは学んでできることではありません。

インバルのリハーサルで磨きこまれた細部がまだ生きていて、それが今回の演奏でより深い呼吸に載せられたという事もあるでしょう。
インバルの演奏はまるで絵巻物のようで、変化に富んで精緻な細部を楽しめますが全体を俯瞰するにはこちらも曲を知っていなければなりません。
小泉和裕さんの演奏は意識せずとも自然とストーリーが見通せ、次はどうなるのかとワクワクしながら聴ける演奏です。

同じオーケストラで確かに似たような音も聞こえましたが、全く異なるジャンルの音楽の様にも聞こえます。

東京芸術劇場のこもったような音響を突き抜けてくる高音部は弦も管も美しく、低音のカブりもこの演奏に限っては良い作用をしていたようです。

この2つの様な演奏がいつも聴けるならこの曲自体、もっとポピュラーになっていくと思うのですが。


エロードは現代曲にしてはとても聴きやすく良い曲だと感じることできる佳曲ですが、全曲通して暗い表情に変化が欲しいように思いました。


[2014-9-21]

大いなる沈黙へ-グランド・シャルトルーズ修道院-

大いなる沈黙へ-グランド・シャルトルーズ修道院

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監督:
フィリップ・グレーニン
2005年
(フランス・スイスドイツ)
立川シネマワン



ドイツ人監督、フィリップ・グレーニングは1984年に撮影を申し込み、ひたすら返答を待つ。そして16年後のある日、突然、扉は開かれた。
彼は修道会との約束に従い、礼拝の聖歌のほかに音楽をつけず、ナレーションもつけず、照明も使わず、ただ一人カメラを携えて6ヶ月間を修道士と共に暮らした。なにも加えることなく、あるがままを映すことにより、自然光だけで撮影された美しい映像がより深く心にしみいり、未知なる時間、清澄な空気が心も身体も包みこむ。





この映画のことを、存在すら知らないでいたのですが、会員となっている映画館のHPで見つけて何か、私の嗅覚が働いて一直線で予約してしまったのです。


映画は一人の修道士が室内で何かをしている映像から始まります。何をしているのかはわかりません。祈っているのか、思索にふけっているのか、何かの作業をしているのか。
低い定在音が聞こえます。何の音かわかりません。川の流れ?撮影カメラのメカノイズ?わかりません。
ただ映像と音によって捉えられた時間が流れていきます。
すぐにそれは劇場の時空と共振し、劇場は修道院の一部になります。

カメラが修道院の外へ出ると音の正体がわかります。みぞれか、重い雪。降りしきる雪の音が暗騒音となってこの部屋の時間を支えていたのです。

最も厳しい戒律で知られるこの修道会では一切の会話が禁じられていて、唯一言葉を交わせるのは「家族としての絆を確かめるため」の日曜日の会食後だけです(普段は独居房で一人で食事)。そのほかは神への祈りしか許されていないのです。
そしてこの映画が訴える「沈黙(stille)」が「音」ではなく「言語」を指しているという事は、おびただしい音たちの雄弁さによってすぐに分かります。
雪の音、鐘の音、足音、荷車の音、ノコギリの音、調理の音。
私たちが「言葉」を組み立てて話すことで、「言葉」を聞き解釈することで、逆に耳を閉ざしてしまっている事を理解することができます。

言葉のない、自然音だけの時間に身をおくことで目も開けます。
窓から差す光の不規則な形。物の明るい面と暗い面、光の連続と断絶。それらが作り出す真実の形態。
監督はここでの長期の生活から自然と無言で向き合う力が極限まで高まったのでしょう。普段なら数秒見て注意をそらし、それっきり忘れてしまう光と影を監督のカメラは注視します。
その中で図らずもフェルメールのグラデーションやカラヴァッジョのコントラストができあがってもいます。

自然音は時間を奏で、自然光と影は魂の震えを象るようです。

この映画にはストーリーはありません。
起承転結も序破急も、ドラマらしきものはほんの一秒もありません。

169分の鮮烈な沈黙はむしろ短い、と思いました。



[2014-9-15]

ギエムのボレロ

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創立50周年《祝祭ガラ》

この公演のチケットを買ったのは、他のダンサーたちには申し訳ないけど、シルヴィ・ギエムが出演するからでした。
シルヴィ・ギエム引退表明の報に接して程なく追加公演の知らせが入り、ダメ元でネット予約にアクセスしたところ辛うじて2階Lブロックを取ることができたのでした。











マラーホフの『ペトルーシュカ』はもちろん申し分ないのだけど、バレリーナムーア人の当て付けが今ひとつ真に迫らず、ペトルーシュカの哀れさが際立たなかったような気がします。

『スプリング・アンド・フォール』は白ずくめのダンサーたちがドヴォルザークの郷愁に満ちたセレナーデに合わせて繊細な群舞を披露します。
東京バレエ団の緻密な表現力と層の厚みを感じさせるなかなかの舞台でした。

しかし次の『オネーギン』を見ると、東京バレエ団に足りないものがわかってくる気がします。
タチアナの吉岡美佳さんはルグリに対して決して見劣りしません。立派です。しかし、マニュエル・ルグリのような高貴で完成された男性を演じられるダンサーはいるのでしょうか?

『ラ・バヤデール』の群舞はは日本人にとても合っているのではないか。
一人ひとりの技は分からないけど、全体の調和のとれた美しさは以前映像で見たマリインスキーなど全く寄せ付けないものです。
上野水香さんのニキヤは可愛らしすぎると感じるけど、魅せられます。柄本弾さんも若さと力にあふれる好演です。


さてシルヴィ・ギエムの『ボレロ』です。
引退表明後、日本で最初の舞台だと思います。会場の熱気もそのためであることは間違いありません。

ジョルジュ・ドンはついこの前見返したばかりです。ニコラ・ル・リッシュも放送で見ました。
でも私が見たかったボレロシルヴィ・ギエムの実演です。

結論から書くと本当に素晴らしかった。
彼女はもうジョルジュ・ドンやニコラ・ル・リッシュのように筋肉をはち切れんばかりに緊張させたり、心肺が潰れるほどの動きをしたりはしません。
関節も動きも全てが柔らかく、長い髪も巧みに使って、残像現象まで自由に操り自分と空間を思いのままに曲げたり伸ばしたりします。
ボレロのクレッシェンドに合わせて豊かさが増していき、広大なNHKホールが彼女に包容されてしまうようです。

昔テレビで初めてこれを見た時は、誰が演じていたのか意識もしていなかったのでわかりませんが、この音楽を一人の人間の肢体で表現するのはやはり無理ではないか、と感じたのを覚えています(周りのダンサーもいるのですけどね)。
この日のシルヴィ・ギエムからはそんな「ムリ」を全く感じません。

見たかったボレロ。『ベジャールボレロ』から『ギエムのボレロ』になった至高のダンスを十分に見ることができました。



NHKホール2階Lブロックは、ホールのエントランスから一番近い位置にあるのですが、舞台がさほど遠くはなく視線も遮られることは一切ないので快適でした。
視線が屋根のペトルーシュカより更に上であることは玉に瑕ですが。

オーケストラの音がオケピットの中でまろやかになり、ステージよりも聴きやすいと感じました。皮肉なものです。

[2014-8-29]

エトワール・ガラ2014

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エトワール・ガラ2014
2014年7月31日

出演:

イザベル・シアラヴォラ
 -エトワール
ドロテ・ジルベール
 -エトワール
アマンディーヌ・アルビッソン
 -エトワール
バンジャマン・ペッシュ
 -エトワール
 -エトワール
エルヴェ・モロー
 -エトワール
オードリック・ベザール
 -プルミエ
ローラ・エケ
 -スジェ
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(プログラムの印刷に間に合わなかったローラ・エケ)


ハンブルク・バレエ
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ

フリーデマン・フォーゲル


ちょっと日が経ってしまったけど、忘れがたい公演でした。

昨年末のシルヴィ・ギエムとアクラム・カーンを病欠してのガックリから復活するためにちょっと奮発してチケット購入しました。
とは言えこれだけのエトワールとプルミエを集めてもシルヴィ・ギエムより1000円高いだけ。すごいなシルヴィ・ギエム


エフゲーニャ・オブラスツォーワ
マチアス・エイマン
エレオノラ・アバニャート

の3人が来られなくなったのはとても残念。特にボリショイのプリマであるオブラスツォーワはパリとのコラボを是非見てみたかったのだけど。
それで代役はそれぞれ
アマンディーヌ・アルビッソン
フリーデマン・フォーゲル
ローラ・エケ。

ローラ・エケだけスジェで、『エトワール』のコンセプトから外れてしまうけど、座長であるバンジャマン・ペッシュのお墨付きだから楽しみにしておこう。


そのローラ・エケはオープニングステージにオードリック・べザールと共に登場したのだけど、まだエンジンがかかっていないのかなあと何となく感じるピリッとしないムード。
バレエのことは良くわからないので特に技術的難点は感じないのだけど、ステージを支配している感じはしなかった。
オードリック・べザールは良かったのだけど、やはりローラ・エケが出さなければならない色合いが不足した感じ。

そのムードを思いっきり払拭したのがイザベル・シアラヴォラとフリーデマン・フォーゲル。
マノンの若々しさでは無いけど、完成された優雅さで魅了しました。動きの中でどの瞬間を切り取っても完全な美しさで、ため息が出ます。この人の柔らかい動きは重力に逆らい大変な重労働だと思うけど、ステージは物理法則の異なる異空間になってしまいます。この人が苦労人などと誰が信じられるだろう。
そしてパートナーのフリーデマン・フォーゲルが、大変若々しく美しく見応えのあるダンサーでした。
このステージだけでも来た甲斐があったと感じます。


次のアマンディーヌ・アルビッソンも代役だけど、3月に昇格したばかりのエトワールです。
マチュー・ガニオとの『白鳥の湖』は申し分ないはずだけど、オデットにしては模範的で堂々とした演技にすぎると感じました。第二幕だから、悲しみや儚さはまだ現れない場面だとしてももう少しかな。
マチュー・ガニオは高貴な柔らかさが素敵でした。


シルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコのハンブルクバレエペアによるマーラーも、見応えたっぷりでした。
パリ・オペラ座バレエのエトワールに何ら引けをとらない優雅さと安定感、それに一番大切な舞台を支配するオーラがありました。

ドロテ・ジルベールとオードリック・べザールにによるラフマニノフ

ドロテ・ジルベールはシャープで正確なダンスはバーを利用した振付のせいもあるでしょうけどこの日一番アスレチックな魅力にあふれていたでしょう。
オードリック・べザールは彼女と競うのではなく受け止める安定感のあるダンスで最初のステージよりも実力を見せたと感じます。


エルヴェ・モローの演目が『月に憑かれたピエロ』から『月の光』に変わったのは少し残念。
『月の光』はエルヴェ・モローのために作った作品の初演だそうです。
私には月の光にしてはダンスが大きく、題材にアダプテーションし切れていないように感じたのですが、エルヴェ・モローの優雅さは十分に堪能することが出来ました。


『鏡のパ・ド・ドゥ』は演出もおしゃれで素敵だったし、アマンディーヌ・アルビッソンも合っていたと思うのですがやはりフリーデマン・フォーゲルは素晴らしかったです。
退廃的な現実のオネーギンではなくタチアナが夢想するオネーギンだからこんなに活き活きとしていていいのだと思います。タチアナの恋心とその現れであるオネーギンを爽やかに演じていました。


アルルの女ハンブルクコンビはやはり息もぴったりで隅々まで行き届いた表情を重ねあわせて素敵でした。

そして最後の『イン・ザ・ナイト』になってようやくバンジャマン・ペッシュの登場です。
イザベル・シアラヴォラに同じような安定感と存在感で寄り添うにはやはり彼ほどの格が必要でしょう。二人の心が絡み合うのが見える優雅なペアです。

ドロテ・ジルベールマチュー・ガニオは、題材に比して出来上がったペアの様に感じられてしまって少し期待した緊迫感が足りないように感じたのですが、惚れ惚れするダンスであることに代わりはありません。
ローラ・エケとエルヴェ・モローのペアはどうもエルヴェ・モローがアシストし過ぎに感じられてしまい、ローラ・エケにもっと伸びやかに舞ってもらいたいと感じました。


良く知らないくせに贅沢を書いてしまいましたが、本当に素晴らしい感銘を得られた事は間違いありません。
アスリートでありアーチストなこの人たちに心から敬意を評します。幸せでした。


テレビがハイビジョンになり美術番組やバレエを見るのが楽しくなりましたが、やはり生の舞台を見ているとあれはデフォルメされ毀損された記録なのだなあと感じます。
ダンサーの薬指と親指が優しく触れ合い、人差し指と中指が穏やかに伸び、手首が物言いたげに返るとき、この表情をテレビ画面で見たことは一度も無い、と思いました。
ダンサーと一緒に衣装の裾が活き活きと震える様もテレビでは見えません。


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テレビではこんな感じ。モーションブラーで見えていない。逆にモーションブラーが無ければパタパタマンガになってしまうのです。
(ヴィシニョーワとシクリャローフのシンデレラ)

もちろん肉眼でも目と脳のスピードは有限だけどこんなに遅くはありません。私達はテレビでダンスを見ることは決してできていないのです。

4Kの凄さは銀座のソニーで見てきたけど次はFPSと画像圧縮率を改善してもらわないと本質的な進化にはならないでしょうね。






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さて、オーチャード・ホール。
「世界有数のコンサート、オペラ、バレエのためのホール」である奥行きの長いシューボックス型ホールですが。

前回バレエを見たのもここだったけど、ここはスロープが緩くて前席の頭が邪魔をしステージをしっかり見ることができません。
それに中央の通路より後ろは遠すぎてダンサーの表情は全く見えません。
前方ではステージが高すぎてダンサーの足が見切れてしまいます。

キャッチフレーズはだれが考えたのでしょう。設計時にバレエやオペラを想定したとはとても考えられません。


ラウンジからの眺めは窮屈

演目:

『ジュエルズ』より ダイヤモンド
出演:
 ローラ・エケ
 オードリック・べザール

『マノン』第1幕より デ・グリューのヴァリエーションとパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン 
音楽:ジュール・マスネ
編曲:レイトン・ルーカス
出演:
 イザベル・シアラヴォラ
 フリーデマン・フォーゲル

白鳥の湖』第2幕より アダージョとヴァリエーション
振付:ルドルフ・ヌレエフ 
出演:
 アマンディーヌ・アルビッソン

マーラー交響曲第3番』より
出演:
 シルヴィア・アッツォーニ
 アレクサンドル・リアブコ

~休憩 (20分)~

『3つの前奏曲
振付:ベン・スティーブンソン 
出演:
 ドロテ・ジルベール
 オードリック・ベザール
ピアノ:金子三勇士

『月の光』 *世界初演
振付:イリ・ブベニチェク 
出演:エルヴェ・モロー
ピアノ:金子三勇士

『オネーギン』より“鏡のパ・ド・ドゥ”
振付:ジョン・クランコ 
音楽:P.I.チャイコフスキー 
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
出演:
 アマンディーヌ・アルビッソン
 フリーデマン・フォーゲル

~休憩(20分)~

アルルの女』より
出演:
 シルヴィア・アッツォーニ
 アレクサンドル・リアブコ

『イン・ザ・ナイト』
振付:ジェローム・ロビンズ 
出演:
 イザベル・シアラヴォラ & バンジャマン・ペッシュ
 ローラ・エケ & エルヴェ・モロー
ピアノ:金子三勇士


[2-14-8-10]

1979年4月 リヨン管弦楽団日本公演(オルガン付き)

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1979年4月
リヨン管弦楽団日本公演


 牧神の午後への前奏曲
 交響詩“海”

指 揮:セルジュ・ボド
1979年4月21日 日比谷公会堂



私が当時サン=サーンスの『オルガン付き』を聴いていたのはミュンシュ、マルティノン、アンセルメあたり。
しかしオシャレなアンセルメは血気盛んな高校生には物足りなく、マルティノンはミュンシュの後に聴くと勢いはあるけど細く感じてしまい結局ミュンシュが決定版、となっていました。
それはその後バレンボイムデュトワを聴いてからも同じ。カラヤンは音響的壮麗さに偏り流麗さが損なわれていてペケ。(結婚式の入場には整って壮麗なデュトワの第二部後半を使いました)

どうして高校1年生が来日オーケストラのチケット2枚を購入できたのか覚えていないけど(親に頼った記憶はない)、パイプオルガンと連弾ピアノ付きの凄まじいオーケストラ曲を生で聴けるチャンスなんて滅多にあるものではない、と貯金をはたいたのかもしれません。
会場は響きの貧しさに世評最悪であった日比谷公会堂。私自身、ヘルマン・プライの『冬の旅』全曲リサイタルで全ての音程がぶら下がって聞こえるという拷問を受けた記憶もあります。
しかもここオルガンなんて無いよね?
多大なる不安を脇へ置き、本場フランスのオケのサン=サーンスドビュッシーという未知の体験に期待に胸をふくらませて出かけました。
ああ、そうだった。指揮者として、ピアニストを啓蒙するために同行するとうい重要な目的も持っていたのだった。

さて、そんな大きな期待を持っていったせいかその日の事は鮮明に覚えています。
会場に付くとあのせせこましいロビー(と呼べるなら)を通り抜けてホールに入ります。
途端目に入ったのはステージにちょこんと乗った電子オルガンのコンソール。当時家にそれなりの大きさのエレクトーンが有ったこともあり、その姿にがっかり。
「ヤバイ」と感じつつも、大ホールの海外オケ演奏会なんだから特別凄い音の飛び出る電子オルガンなのかも、と気を落ち着かせます。

リファレンスがミュンシュボストン交響楽団による空前絶後の爆演になっていた愚かな私は、音が鳴り出した途端「なよなよしている」と感じました。
予感めいた弱音であるはずの出だしは、フワッと広がりのある音です。循環テーマが始まると途端に緊張が高まるはずが、そのままゆっくりで呑気。
日比谷公会堂のせいもあるでしょうが、サウンドの余白が目立ちます。
個々の音は膨らみがあるのだけど、弱々しいと言ってもいいほど柔らかく、丁寧すぎるフレージングで途切れる広がり。
開始30小節ぐらいで今日は迫力や緊張は求められないと完全に察しました。
しかしそれと同時にこの曲で初めて、こういう味わいも有りなのかもしれないと感じ始めたのです。

森をなぎ払って進軍するようなミュンシュの演奏とは別の土台に立った完全に別種の感性で奏でた音楽に少し私の感性が歩み寄った形です。
そして私は隣の人に「いい演奏だよ」とそっと告げたのでした。

例えてみればラウル・デュフィの水彩画。
薄めで沢山の色彩が輝くような白の画紙の上でダンスを踊り、それぞれの絵の具の濃さの何倍ものダイナミックを生み出す。
奥行きは深い色が生み出すと思っていたけど、デュフィでは白さがどこまでも向こうへ突き抜けて行く。
その手前の色彩たちのなんと爽やかな躍動。清冽な色彩の音楽。


この日のリヨン管弦楽団の演奏はデュフィほど輝いたわけではなかったけど、普段聴いている日フィルや新日フィルとは完全に違った音楽体験をさせてくれました。
そのアプローチは、敢えてサン=サーンス交響曲を前半に持ってきて後半にドビュッシーを置いた事からも、迫力の大団円には全く興味のないことは明らかです。
その当時サントリーホールはまだ無かったけど、その演奏をそのままサントリーホールに持ってきたらどんな妙なる色彩が生まれていたかと考えると惜しまれてなりません。
それは、先日のスラットキンとの演奏よりも遥かに軽妙洒脱の粋な演奏であったことは間違いありません。

電子オルガンの音はオーケストラを遥かに上回る音量も出せたけどそれは不適切で、無機質な音質はオケの息遣いとは馴染みませんでした。その後、宗教曲などでも何度か同様のスタイルを経験しましたが、納得できたことはありません。

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[2014-7-27]