森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

インバル、マーラー10番を語る

インバル、マーラー10番を語る

2014年7月16日
東京芸術劇場 シンフォニースペース
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7月20・21にサントリーホールで行われるマーラー交響曲第10番の演奏会を前に開かれた講演会です。


約1時間半の講演と20分の質疑応答で構成されていました。

講演は都響との録音を再生しながら第1番から第10番まで、マーラーの人生と絡めてそれぞれの意義を解説していくものでした。
話自体は書物やCDの解説などにあるような内容でしたが、曲を再生しながらの解説は指揮者ならではの具体的で明確な解釈で、リハーサルを彷彿とさせる意義深いものでした。
質疑応答はシナリオから外れた自由な話で、世界を股にかけて活躍する指揮者の経験と知識と洞察の深さに感嘆する意義深いものでした。
記憶を頼りに幾つか記しておきたいと思います。


Q.どうしてクック版を支持するのか?クック版の確度は?

クック以外の版は校訂者の曲になってしまっている。
クックはありとあらゆる資料を精査し、マーラーの意図を最大限に尊重して10番を完成させた。マーラーの精神を再現できている。
クックが多大な調査と努力で仕上げた成果の上に立ち音を足したり変更したりしてクックを否定しこの方が良いと言うのはフェアではない。クックの偉業に感謝している。

若いころ1番・5番の後にクックと協力して10番をやった。以来10番の依頼がたくさん来て、他をやるのが後回しになった。普通と逆だ。
10番をマーラーが仕上げたらどうなったかは誰にも分からない、マーラー自身にも。書き上げた後も沢山の変更をする作曲家だったのだから。

Q.数字のジンクスを信じるか?

信じない。
宇宙は数学的原理で成り立っている。音楽も音を数学的に構成して宇宙を表現したものだ。そういう意味では数字は大切だ。


Q.マーラーの理解・演奏に関して、ユダヤ人であることは重要か?

マーラーをわからないのに指揮をする人が多すぎる。
ジュリーニと話した。マーラーの6・7・8は分からないと言っていた。ブルックナーも良く分からない。聴衆がブルックナーが分からないと言ったら「それなら聴かなきゃいいさ!」と言っていた。それでいい。
カラヤンも全ては振らなかった。サヴァリッシュマーラーは分からないと言った。ベームフルトベングラーも歌曲は降ったが交響曲はやらなかった。
ドイツの本流の指揮者たちチクルスをあまりやらない。
マーラーの理解には抑圧や恐怖と愛が必要だ。ユダヤ人でなくとも苦難と闘い人生への疑問を持ち心の内が沸き返っている人ならマーラーを理解できる。ぬくぬく育った人は何国人でもダメだろう。

Q.バーンスタインとの交流とバーンスタインマーラー解釈について

イスラエルバーンスタインに認められヨーロッパに出てスカラシップを受けることができた。大恩人だ。
バーンスタインマーラー演奏にルネサンスをもたらした。
マーラーは1910年に「今の聴衆は私の音楽を理解しない。50年後には理解されるだろう」と言っている。
奇しくもバーンスタインが1959年から1960年にマーラー演奏を開始した。彼以前にももちろんワルタークレンペラーがいたがルネサンスをもたらしたのは彼だ。
演奏はやや大げさで速いが。

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コンサートがないので閑散とした大ホール前コンコース

[2014-7-16]