森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

天切り松 闇がたり (第一巻) (浅田j郎) - 江戸弁 べらんめえ調の美しさ

イメージ 1闇の花道-天切り松 闇がたり〈第1巻〉
作者:浅田 次郎
出版社:株式会社 集英社集英社文庫

その不思議な老人は六尺四方にしか聞こえないという
夜盗の声音「闇がたり」で、遙かな昔を物語り始めた

この作品は、大正6年から12年くらいの間の泥棒一味の人情味あふれる活躍を、現代の留置場で最後の生き残りの老人が語って聞かせる、という話です。

もう何年も前の事、たまたまあるコミック雑誌を手にとって流し見をしているその少しの間に、あまりに流暢な江戸弁に完全に引き込まれてしまう作品がありました。
その練達度はとても今の時代の漫画家さんが考えたネームとは思えず(失礼!)、原作者を確認したところ「浅田次郎」だったのです。
それから必ずこの作家の作品を読んでみようと心に決めていたのですが、叶わぬまま何年も過ぎてしまいました。表題は覚えていませんでしたが、後で調べてわかったものです。
実は私は浅田次郎という作家について、名前は聞き知ってはいるがどんなものを書かれているのか知らないでいました。それが初めて氏の作品に触れたのがこのコミックの原作としてだったというわけです。

私は東京生まれの東京育ちですが、両親の一族が深川の商家と向島の警察官ということもあってか、こういうコテコテの「江戸弁-べらんめえ調」を親族が話すことはありませんでした。
しかし落語や芝居やテレビの時代劇などを通して日常的に耳にしていましたし、昔あちこちによくいた「話好きのオヤジ」(たまたま隣席になった折や銭湯などで、赤の他人に長話を聞かせる)から散々聞かされていましたので、今で言う東京人にとっての関西弁以上に馴染んだものでした。

さて、手にとって読み始めてみると、話の本題も始まらぬうちから喜びと満足感で高揚してしまいました。
江戸弁はやはり活字からでも耳に聞こえてきます。ここは関西弁と同じです。
私は、標準語は折り目正しいがリズムや旋律が乏しいと思います。
関西弁や江戸弁はしゃべり自体が唄であり音楽になっています。

美しい

小説の作りとしては
1.留置場の中で同房者や看守との対話、という形式を採ることで読者自身がその場に参加しているような気にさせられる。
2.当時の町並みや文化の克明な描写で大画面の映画さながらにその時代に引き込む。
3.歴史上の偉人を絡ませてスケール感を演出。
4.人間関係を濃密に描くことで、カタストロフィーが極めて強く訴えてくる。

という感じでしょうか。全く大衆小説の大道なのでしょうが、野暮な分析はこれでやめておきましょう。
音楽だって、アナリーゼで気が付くこともあれど、直感がなければ傑作・名演にはなりません。

これは、個性ある登場人物と躍動感のある時代背景を単純かつ良質なプロットで結びつけた珠玉の小品群であって、そのプロットの進行が極めて美しい言葉でなされるのです。
その全ての要素が名人芸的なバランスで品位と叙情性をもって創作されているのですから、活字を媒体としながら叙情的な音楽を聴いているような感覚になります。

ずっとこの場面に浸っていたい
終わってしまうのがもったいない

こんなふうに思って、わざわざ時間をかけて読んだ小説は実に久しぶりです。
あと三冊、第四巻まで手元にあります。じっくり時間をかけて読みたいと思います。

構成
闇の花道
槍の小輔
百万石の甍
白縫花魁
衣紋坂から



[2009-1-17]