森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

『ダイヤモンドダスト』 南木佳士

イメージ 1ダイヤモンドダスト

著 者:南木佳士
文藝文庫

冬への順応(1983)
長い影(1983)
ワカサギを釣る(1986)


芥川賞受賞作である「ダイヤモンドダスト」を含む4篇からなる作品集です。






文章のマジック。
『冬への順応』の読み始めから引きこまれます。
会話やエピソードによってではなく、文体そのものから開けていく光景が持つ温度や湿度を感じとれ、気温の違う部屋に移動したり、初めて入る友人の部屋で五感が自然と鋭敏になった時のように、一字一句が心に入ってくる感 覚があります。
修練で身につくようなものではなく天性のものでしょう。しかしそれだけではありません。

著者は信州の小さな田舎町の総合病院に勤務する現役の内科医です。
小説を捨てるか医業を捨てるかとなれば、小説を捨てるという本物の医師です。
そして癌の中でも困難だとされる肺癌の担当医でもあります。
そんな著者だから、関わりを持った人の死をたくさん見届けて来ました。
著者は医師としては患者との距離の取り方がうまくないと言い、たくさんの死に望んでついにPTSDうつ病を患ってしまったほどです。

また、タイの難民キャンプで医療チームに参加し人の健康や生命に何ら敬意が払われない世界を体験したことも著者の人生観に厚みを加えています。

そんな著者の書く小説は冷たく悲しいトーンで彩られています。
無常感というよりは必ず滅んで行く定めを背負ってそれを知り、あるいは知らずにかいがいしく営々と生きていく人々を描きます。

就職、移住、痴呆、そして死。
ここに収められた4篇すべてで別れが描かれます。別れへと向かう人生と人生のすれ違いです。
よそよそしい関係も親密な関係も、たとえ親子や夫婦でも。全てが、毎日が、別れへと向かう一方通行の交流です。

長野や軽井沢の冷たい空気やタイの重苦しい暑さを美しい背景にして、そうした人の営みをケレン味のない文体で描いています。
主人公の目の高さから見たもの聞いたものを淡々と記述する語り口がかえって人の交わりの儚さを浮き立たせ、切なく胸に迫って来ます。


『冬への順応』では無感動から逃れるように参加したタイの難民キャンプから帰還した主人公が再び無感動に慣れていこうとする日常が描かれます。
そこに突然癌患者となって現れる女性。
その女性の出現によって開かれていく過去の夢や情熱や恋と、夢をある程度達成し波風なく送る毎日のコントラストが、人生へのもどかしさと諦念を際立たせます。
彼女を再び失うことが実現しなかった憧憬の蓋を閉じ日常へ戻る道であるのは人生の悲しい皮肉です。


ダイヤモンドダスト』では、失われていく山里の暮らしや廃線となった高原鉄道への想いをうら寂しい背景として、死にゆく者と死の縁から生還する者の不思議な交流と、主人公が獲得する擬似家庭の暖かさを縦横に紡いで重層的な読み応えを見せます。
しかし生還者も団欒も彼らの共同作業の結晶である水車も、山里や高原鉄道と同じ定めに従って存在し失われるのであり、それが人の営みを超えた自然の営みである事をダイヤモンドダストの煌めきと冷たさでくるんで教えてくれるのです。


[2013-4-13]