森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

『負けない奥義』 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術

『負けない奥義』 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術
 
著 者:柳生新陰流兵法22世宗家 柳生耕一平厳信(やぎゅう・こういち・たいら・としのぶ)
出版社:ソフトバンククリエイティブ
 
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上泉伊勢守秀綱を流祖とする柳生新陰流の正当22世が書いた人生訓です。
 
柳生新陰流が現代に継承されていることが驚きですが、剣術・兵法も時代に応じて変遷してきた様子がよくわかり、認識を新たにしました。
 
合戦の場で斬り合いをするための剣法であり、人を殺すたもの技だったのですから、競技としての武道とは全く違う覚悟の一歩と重みの一太刀を繰り出す技でした。
やられては死んでしまうので勉強になるなどということもなく、常日頃から戦いに臨む心を養うことが大事だったようです。

だから、指南書や奥義書には沢山の精神論が書かれています。
「危ながる心」「打ちたいと思う心」「防ぎたいという心」
これらを新陰流では心の3つの病気といいます。

これらの病気が身を固くし、相手の動きに呼応できず、実力を発揮できない原因となる。
だから立ち会いにあたっては心を無にしなければならない。ただし「心を無にしよう」と目指すことが既に無を遠ざけていることに思いを馳せなければならない。
 
「いや、それが出来たらだれも苦労しません」
現代人にはそう言いたくなってしまうような立派すぎる事が次から次へと語られていくのですが、本物の殺し合いを生涯に何度も経験する人生ならばそういう論はなんら遠い世界のものではなかったのでしょう。

精神論を中心としながらも具体的な体捌きについてもある程度の解説があります。
戦国時代の甲冑を着けた合戦から江戸時代の平服による立ち会いに変わって剣術も変化したことは興味深い記述でした。
 

終盤は柳生新陰流の歴史に紙数を割いていますが、私としてはこちらをむしろ非常に興味深く読みました。
・伊勢守や石舟斎の塚原卜伝との係わり
・石舟斎による新陰流の完成。
・宗矩による江戸柳生の始まり。
・兵庫助が開いた尾張柳生。
実話とフィクションが綯交ぜになってできた活劇的歴史観がきちんと整理され史実として認識されて、短いながらも読み応えのある内容でした。
 
 
[2012-7-29]