森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

レイ・ブラッドベリ 『火星年代記』 改訂版


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(1977年の第4刷と2010年の新版初刷。同じ「文庫」でもサイズが違うのですね)

とうとうレイ・ブラッドベリが亡くなってしまいましたね(2012/6/5)。

この火星年代記は私があらゆる文学作品の中でも最上位に置く作品の一つです。
2010年に出版された改訂版を読んでみました。(原書の改定は1997年。日本版遅いなあ。)


限りない郷土愛と痛烈な文明批判、人間愛と社会批判、物質文明の功罪など文学のテーマになり得るあらゆるものをファンタジーでくるみ、詩情豊かに描ききっています。

特に顕著なのはアメリカ的な開拓精神と独善的ヒューマニズムに対する批判です。

火星植民は多くの国を差し置いてもっぱらアメリカのみで行われたこと。
植民を「いなご」の群れに例えていること。
赤狩りや人種差別を度肝を抜くほどあからさまに描いて見せたこと。

ほとんどアメリカ病とも言えるほどの集団的病理を痛烈に描いています。

「第二のアッシャー邸」ではあの『華氏451度』に通じる検閲社会への批判を描いてもいます。

そんな社会的なテーマであるにもかかわらず、詩的に感じられるのは火星人も含め登場人物それぞれの『心』に映ったものを自然や心象も交えて描いているからでしょう。


アメリカ人が火星にした酷いこと。
人類が地球にした酷いこと。

そのすべての非道の後での最後のシーンは、人類最後の純真無垢な兄と幼い弟たちに未来を託したことで読み手の心を贖罪と祈りの念で震わせるのです。

なんと愚かで悲しいクロニクル。


さて、今回読みなおした新版では「空のあなたの道へ」が削除され「火の玉」「荒野」が加えられています。

「空のあなたの道へ」は黒人たちが綿花畑で労働させられているのでさすがに今となっては訴求力を失ったと考えられたのでしょう。

逆に「火の玉」は超進化し神に近づいた一部の火星人を描くことで人類と社会の諸問題の起源と未来を明らかにしたものです。
宗教に対する皮肉も込められています。

「荒野」では全く火星移住の必要がないと思われる姉妹の逡巡を描いて、火星植民が西部開拓と同じレベルに矮小化されています。
彼女らの移住の動機は向こうに恋人がいるからであって、そこに火星があり火星の風物あることは全く顧みられはしないのです。


その他の注目点としては現代のSFとして馴染みやすくするためにすべての年代を31年遅らせていることが挙げられます。
つまりオリジナルでは1999年1月~2026年10月までの年代記が、2030年1月~2057年10月と改められたのです。
なんとなく、火星植民がありえそうに思えませんか?

現在では無理のある表記を修正した程度で文脈や文体の変更は行われていません。
しかしファンならば上記珠玉の二編のためだけでも、手にとって見るべきでしょう。


ところで、レイ・ブラッドベリ自身のの改訂版への前書きから・・・

「私がしていることについて、とやかく言わないでください。自分が何をしているのか、知りたいとは思いませんから!」

ブラッドベリの友人でもあったフェデリコ・フェリーニの言葉だそうです。

なんだか、胸のつかえが取れるというか、肩の荷が下りるような言葉です。


[2012-7-13]