オペラ 『古事記』
演 出:岩田達宗
指 揮:大友直人
2011/11/23 東京文化会館大ホール
東京文化会館50周年記念公園の収録を見ました。
結論から言うと非常に危惧を感じる内容でした。
私達の知っている話自体が古事記の要約なのですが、一つのオペラにオムニバス形式で4つも詰め込んだことでダイジェストのダイジェストという体になってしまっています。
リンツ州立劇場の委嘱作品ですから日本人を対象にしていないのかもしれませんが、良く知った話を今更ダイジェストで語られてもありがたみはありません。
それもドラマツルギーが全く無くなってしまうほどの要約をゆったりのんびりした口調で語られ(歌われ)ても、その間どうしていたらいいのか何を感じ取ったらいいのかわからなくなってしまうのです。
朗々とした立派な発声で、普段から感じている能と声楽の近似性を改めて認識したのですが、良かったのはそこまでで、何百年も彫琢されてきた伝統芸能の様式美をオペラ歌手が表現できるはずもなく、もちろんクラシックの声楽家として皆さん大変立派な声ではあるけど、黛敏郎が頭に描いたであろう幽玄や荘厳は全く舞台上に立ち現れることは無かったのです。
舞台装置は非常に簡素です。
いろいろな色がギラギラと使われているのですが、目が慣れて逆にどの色も感じにくくなってしまうようです。
イザナキとイザナミの大業を為すという決意や逸る心も歩行で表現し得たことでしょう。
オペラ歌手にこのユッタリとした歩行で何かを表現するのは無理です。
天の御柱を回る前の会話は、
「私の身体には成長が足りず合わさっていない部分があります」
「私の身体には成長し過ぎた部分があります。これをあなたの合わさっていない部分に差し入れて国土を産みましょう」
という内容だったはずです。
そんな、少し滑稽に思えるほど大らかに人類最初の愛を為す場面も生々しすぎると考えたのか、セリフは無味乾燥で事務的なものに置き換えられています。
黛敏郎の音楽は今となっては聴きやすい部類に入るものですが古代の土俗性や歌謡性はなく幽玄・荘厳を目指したものです。
しかしそれはオペラの舞台様式には無いものであって全くのミスマッチと言わざるを得ません。
毒や艶を抜かれたセリフで組み立てられたドラマのないダイジェストのシナリオ。
ダイナミズムの無い舞台演出。
残念ながら私には全く見るべきところがありませんでした。
それともワーグナーのリングのようなオペラを想像したのが間違いだったでしょうか。
[2012-7-9]