森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

陽はまた昇る

『陽が沈む -』
と、壮大に歌って終わる曲があった。
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ある友人は私に向かって
「なぜ ”沈む” が壮大で、終わりなんだろう?」
と疑問を投げかけた。
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疑問を感じていなかった私は、2秒だけその疑問でない心理を自己分析をしてから
「また昇ることへの期待で曲を閉じるから」
と、答えた。
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その禅問答のような答えを聞いた友人はかえって困惑したようだった。
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陽はまた昇る
当たり前のことだ。
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しかし一瞬一瞬が流転の相の一つであるなら、今沈む陽と明日また昇る陽とは別の物であるに違いない。
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それを迎える私も、別の相で、別の目と別の心で迎えるのだろう。
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そしていつか、陽が再び昇らないという日が来るのかもしれないし、
日の出を迎えることができない私の落日はもっと早く来るだろう。
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それでも私を作っていたたくさんのエネルギーの粒たちは、別の何かに生まれ変わるのだろうから、
それで良いのだとも思える。
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万物は流転する。
人も物も。

今が惜しくもあり、健気に小さく大きく流転を続ける私や身の回りの者たちや物たちが愛おしくもある。


[2011-5-25]