森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

オーディオブック 《MEMOIRS OF A GEISHA》(さゆり)

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MEMOIRS OF A GEISHA (UNABRIDGED)
(邦題:さゆり)
CD15枚組/18時間
author:ARTHUR GOLDEN
narrator:BERNADETTE DUNNE
publisher:RANDOM HOUSE AUDIO



















邦題《さゆり》の原書を朗読したオーディオブックです。

私は邦訳を1999年の初版時に読んでいます。

それまで全く未知の世界であった祇園の芸妓の世界をつぶさに見ることができ、純粋な好奇心が満たされるとともに、アメリカ人の著者からここまで子細な伝統の世界の裏表を教えられたことに驚きを禁じえませんでした。

また、これは原書ではなく訳者の功績ではあるけど京都弁が素晴らしく、訳者が「京都弁に縁遠い」という割には、はんなりとした言葉が止めどない音楽のように流れ込んで来て、大変な心地良さをもたらせてくれました。

その時から気になったのが、「ではそもそも原文の英語ではどういう印象の読み物なのか」という事です。

10年も経ってからようやくその機会に恵まれたわけです。

(先年のロブ・マーシャルの映画は上で述べたような素晴らしい印象とはあまりにかけ離れていて全く見る気になれずパスしています。《シカゴ》は大好きなのですが同じテイストでこの作品を描いて欲しくありませんでした。)


さて英語原文ですが、現代アメリカのあまり教養を要しない小説として平易に書かれています。
赤毛のアンが教養人を対象とした少々ペダンチックな文体であるのとは全く違い、骨が折れるということはありません。
もちろん、高校英語より遥かに単語数は多いのですが、言いまわしが平易なので「言っていることは分かる」という感触は得やすいと言えます。
念のために原書を買っておいたのですが参照することはありませんでした。

何しろ文体は飾り気がなくアーサー・ゴールデンの文才に少々危惧を抱いてしまう程ですが、元の語り手が大変気の利く言い回しや例えを多用して未知の世界の生活感を叙述しているので飽きることがありません。

そして京都弁ではなく、平易な英語で語られた芸妓の一人称の世界はどうか?
元々の口述は京都弁で行われたに違いなく、語りのニュアンスは失われているはずなのですが、単純で直接的な英語による語りは大変真に迫る力があり、情景や心情を喚起する力は京都弁の翻訳よりもむしろ高いのではないかと感じたほどです。

ときどき、「どう翻訳されているか」が気になって訳書を参照してみましたが、全く別の読み物になっていると言えます。
同じ楽譜でもバイオリンで弾くのとピアノで弾くのでは全く違って聴こえるのと似たような感覚です。

京都弁は困難や悲哀や意地悪や皮肉が柔らかさでくるまれているようですが、英語ではストレートに伝わってきます。

ぶっきらぼうな延さんのセリフが原書でも訳書でも似たニュアンスなのがなにか象徴的です。

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[2010-9-1]