愛(いと)しき醜さ
今日は参議院選挙の投票日です。
投票所の近くにこんな植物を見つけました。
なんだかわからないけど、とても誇らしげにアピールしてくる姿に、魅入られてしまいます。
しかしそんなきれいな植物もこんな姿を隠し持っているのです。
これを美しいと思うか、神秘的と思うか、グロテスクと思うかは、人それぞれでしょうが・・・
思えば人間だって、どんな美人・美男でも、グロテスクな面を、精神的にも肉体的にも持っているわけです。
ぼくだって持っている。
そして、本当に愛してしまうと、そういう部分も愛しくなってしまうわけです。
それは、人みなが隠し持って生きている弱さや醜くさを、信頼のあかしとして認め、許し、慈しみ愛し合い、助け合い補い合う、という事なのかもしれません。
それが、恋ではなく、愛なのだ、と思います。