森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ポンペイ展 横浜美術館


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ポンペイ展、たしか何年か前にもやっていましたね。
その時は逃したので、今回はネットで前売り券をチケットを購入して待機していました。

ポンペイは西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の噴火によって完全に火山灰の下に埋もれました。
それで形を変えずに今日まで残されたのです。

驚くべきは当時の人々の文化的な暮らしぶりです。

どの家も装飾品で溢れており、絵画や彫塑が置かれています。
家具や調理器具の意匠まで、実用には全く不要な装飾が精緻に施されています。

家の中にボイラー室を完備した風呂があり、衛生上の目的ではなく寛ぐために入浴していました。

賭け事に使ったであろうチップが動植物を象った彫り物になっています。今のケータイストラップのようにいろいろな形があります。

現代の《市民》と、この街に住んでいた《市民》が同じ社会階級とは言えないでしょうが、ともかく《市民》が美を快楽とし、美のために文化を形成して暮らしていた。そのことに驚きます。

今回実際に、美術品だけでなくそれら市民生活の風景をあらゆる側面から見ることできて、古代ローマへの驚嘆の念がより確かなものになりました。


美術の面で気付いたことがあります。

おそらくこの街では顔料が容易に手に入って、絵を書く人が沢山いたのではないか?
絵の完成度に非常にバラツキがあります。
完成度の高いものはルネサンス以降の物に匹敵する・・と言いたいところですが、絵画の成熟度は実はそれほど高くありません。

人体を描くにあたって骨格はほとんど考慮されていません。顔や衣装の描き込みに対して全体のフォルムが拙く、ギリシア的な美しさもありません。
遠近法がまるで確立していません。恐らく画家それぞれがダイナミズムとして遠近感を表現しているのでしょうが、少なくとも透視法的な概念は全く頭になかったことが見て取れます。

何故か逆にホッとします。そこまでこの時代にやられてはルネサンス以後の進歩は何だったんだ?と虚しくなります。


そして、絵画とは違い彫刻は非常にレベルが高く、完成の域に達しているということです。
人体の造形や顔の起伏などは写実的というレベルは超えていて、その人物の威厳や優雅さを表現しています。
現代に通用する芸術のレベルに十分達しています。
掌サイズの全身像も何点かあり、家に飾っておきたいほどでした。


生身で当時の生活へ飛び込んだらどんな気分なのか、今までは遠くへ思いを馳せていた世界が身近になったような不思議な感覚を味わえました。



[2010-4-10]