森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

美しき挑発 レンピッカ展

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美しき挑発 レンピッカ展

TAMARA DE LEMPICKA
(1898-1980)


右の写真は会場販売の図録の表紙
《緑の服の女》
モデルはタマラの娘キゼット
















レンピッカを知りませんでした。
電車の中吊り広告で見て惹かれてしまい見に行ってみました。

タマラ・ド・レンピッカ(1898-1980)はワルシャワ生まれの女流画家です。
5歳で父が行方不明になったり、18で結婚した夫が翌年にはロシア革命で投獄されフィンランドやパリに亡命するなど慌しい中、絵の修行を続行し27歳で個展を開き29歳で国際展の金メダルをとっています。

広告の絵からは
『個性的なポップアート
という印象だったのですが、実物は全く違っていました。

少なくともこの展覧会で見る限り26歳の時点で完全に画風を確立しています。
その特徴はWEBに掲載されている画像や印刷された広告を見て想像できる部分と、そうでない部分があります。

まず分かる部分です

人体や姿勢をデフォルメし、彩度と明度のコントラストを高くとって人物の形態的存在感を非現実的なまでに高く表現していることです。

14歳の時にキュビズムに接して影響を受けたようですが、ピカソの提唱するような空間表現を目的としたものではなく、起伏の境界や特定のオブジェを鋭いエッジで切り分けることで実在感を高めているように見えます。

また身体のあらゆるパーツがエレガントでありながらやや不自然で意味ありげな角度で何かを訴えているように感じられます。その時その人物が何をし何を思っているのか、問うてみたくなるのです。

頭部が画面に入りきらずカットされている絵が多いのも特徴です。それによって状況よりも人物の姿勢や表情による訴えかけが強くなっています。

そして画像や印刷では全く分からない部分です。

まずはそのマチエールは印刷で見るより遥かにスムーズかつグロッシーで、そのグラデーションを眺めるだけで大変心地よく感じられるほどです。
必ずしも全ての部分がそうなっているわけではないのですが、黒からバーミリオンというような急激な階調をこのマチエールで表現しているので、絵全体の印象となって目に飛び込んできます。

そして人肌と目の表現が奇妙なほど写実的なことです。
女性の肌にも男性の手にも皮膚の下に青い血管がうっすらと透けるように描かれています。
部分だけを目を凝らしてみると、はっとする程妙に生々しいのです。
瞳は虹彩から密度感のあるクリアさで奥行きが透けているように見えます。

このデフォルメと人工的なグラデーションが形態を際立たせ、妙に生々しい皮膚感や目力が生命力を際立たせているのです。
印刷物もNETで検索されてくる画像も全くこれを捉えていません。
上に掲載した写真(私が図録を撮影したもの)もそうですが、ドレスの白い部分が絵の具をヤスリで削り取ったような荒い印象になっていますが、実物は全く違います。なめらかで輝くようなグラデーションになっているのです。
おそらく、白と緑の点の密度では表現不可能です。

ファッション誌の表紙や挿絵の仕事も有ったようですが、その原画と雑誌も展示されています。
しかしやはり原画の素晴らしさは雑誌の印刷には表れていませんでした。

そもそもこのレンピッカは基本的な画力は完成していて、そのことは静物画から窺えます。
リンゴの細かく勢いのある肌理、ブドウの表面に粉をふいた様子、シルクの敷物の輝き。素直に重力に従った置形。油絵画家として完璧な画力を見せています。まるでレンピッカがアカデミズムに対して勝ち誇っているかのような画力です。

これはポップアートではなく一筆一筆に人生の蓄積を込めた全くの芸術絵画です。
アングルは古典的な様式を少し外したところで形態美を表現しましたが、それを発展させ情念を加えて進化したような印象さえあります。

全くの予想外に素晴らしい画家との出会いでした。
一人でも多くの人に、これを見ていただきたいと思っています。

・・・
図録の解説をまだ読んでいません。
何か発見や勘違いがあったら、追記しようと思っています。

[2010-3-21]