森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル
Fanny Mendelssohn-Hensel (1805年11月14日 - 1847年5月14日)
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美化されているにせよ、当時は肖像画が写真の役割も果たしていました。
余り実物とかけ離れていては却って笑いものになってしまいますので、かなり美しい人であったのでしょう。

フェリックス・メンデルスゾーンの4歳上の姉です。
生前彼女の楽譜はファニー・ヘンゼルという名で出版されています。近年、作曲家としての再評価を促すためにメンデルスゾーンの名を付けるようになったようです。



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左上から
ファニー、フェリックス


メンデルスゾーン家は母方が音楽を擁護する家系で、子どもたちにも優れた音楽教育を施しました。


ファニーもフェリックスと同様の音楽教育を逸早く受け、才能を認められた存在でした。

実際に非常に優れたピアニストであり作曲家であったようで、サロンでは大変人気が有ったようです。










ただ父親が保守的なユダヤ人であり謹厳な銀行家で、フェリックスの音楽活動さえ反対した程なので女性が生業として音楽活動をする事は決して許そうとしませんでした。
そのため、メンデルスゾーンが発表した曲集に彼女の曲を潜ませたりしていたようです。

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子供の頃の絵でしょう、美化されているにせよとても愛らしいです。

彼女が公然と職業的音楽活動ができるようになったのは父の死後、宮廷画家でありサロンでの彼女の賛美者であり夫となったヴィルヘルム・ヘンゼルの支援があってのことでした。

フェリックスはファニーの楽譜出版にあまりいい顔をしなかったようで、彼女の才能を脅威に感じていた、と考える人もいるようですが、当時のフェリックス・メンデルスゾーンの絶対的な名声と地位を考えればそれほど神経質だったのか疑問です。
むしろ書簡に書いているように、心ない業界や市民の批評によって姉が傷つくのを心配した、というように読みたいところです。
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ファニーの手稿。
弟の几帳面な譜面に対し、リズム感のある筆致です。少しバッハに似ています。

しかし彼女がいよいよ世に出はじめた矢先、41歳という若さで脳卒中に倒れてしまいます。
(フェリックスは非常に憔悴し、わずか半年後に同じく脳卒中で倒れます。)
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結局、女性の本格的な職業作曲家は50年後のシャミナードまで待たなければなりません。


彼女の歌曲とピアノ曲を何曲か聴きましたが、フェリックス同様メロディー主体で幸福感に満ちた気品のある作風ですが、情感の起伏が弟よりも強く共感を感じやすいものです。
彼女の曲は本場ドイツでもまだ演奏され始めたばかりで、これからが楽しみです。


[2010-3-20]