森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

『良い音』の心理と演出 SENNHEISERのヘッドホンについて(3)

スピーカーは部屋の音響と合わさって音場を作りその中に身を置くことになるので、原音『感覚』はコストと工夫でどんどん高めていくことが出来るでしょう。
対するヘッドホンは体感の無さや頭内定位など、人間が生身で聴くのとは全く異なる体験ということになります。


ヘッドホンは製品によって全く音質が違います。
今手元にVictorのカナル型が4種類ありますが、それぞれ全く似ても似つかぬ音が鳴ります。
AKGの二種類はまるで正反対のキャラクターを持っています。
この科学や産業の進んだ現代において、製品間にこんなにバラつきがあるのは何故でしょう?

それはヘッドホンには『演出』が不可欠だからです。
音楽の楽しみ方の多様性もその理由のひとつでしょうが、演出抜きでは充実した音楽性がが得にくいから、というのが大きな理由ではないでしょうか。
5万円を超える、完全性を目指すはずの機種でもかなり個性があるのですから、そう考える以外ありません。
人間の感覚の鋭敏さを考えれば、マイクが拾った音をいくら正確に再生しても『生身で感じる音』との違いを克服できるものではありません。

その演出の存在が返ってヘッドホンの趣味性を高めている面もあるのですが。

SENNHEISER HD 650
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HD 650 は特別な機種です。
この機種の特徴として『決して耳障りな音がしない』ということは良く言われます。
私はここにこの機種の秘密が集約されていると思います。

他のメーカーのしっかりしたヘッドホンから HD 650 にかけ返ると、くすんだ情報量の少ない音に聴こえます。
大げさに言えば緞帳の向こうか、奈落から聴こえてくるような感じでしょうか。
しかし耳が慣れるに従って十分な情報が聴こえて来ます。まるで日陰に目が慣れて砂粒もはっきり見えるようになる感覚です。
そして懐深い音の世界にどんどん没入して行くことができるのです。

このヘッドホンが愛されるからくりはこの
1.耳の感度を高める
2.集中力を高める
3.その感度と集中に応える情報量を持っている
という流れで聴き手を感覚美の世界に閉じ込めてしまうと言うところにあると考えます。

さらに突き詰めれば
4.本物に接した記憶を喚起し、実際に鳴っている音と感性の中で補い合い音楽の実在感と感動を高める
という絶妙のバランスを実現していると感じます。
AH-D5000の低音は確かに空間に滞留するうねりのような感覚を味あわせてくれますが、ブーストしたような違和感も感じてしまいます。 HD 650 はそういう作為による違和感がが少ないのです。低音から高音までとても自然な演出です。


注意したいのは、1番目のポイントを満たすために、非常に静寂な環境が要求されることです。
エアコンなんてもっての他、私の場合時計のコチコチや蛍光灯の安定期の音でも、特に高音がマスクされてしまってこのヘッドホンの魔力をスポイルすると感じます。
だから本気で聴くときは夏場でもエアコンなし、時計は全てスイープ運針機です。


HD 650 は並べて比べると他の中級~高級機種と比べて全く独特の音がします。これが正しく他の多くがおかしいのだとは到底言えないでしょう。
だから、「 HD 650 は奇妙な代物だ」という意見に反対するつもりはありません。
しかし、『芸術を味わうための道具』として奇跡のバランスを持つ、他のどんな優秀機にも代え難い魅力を持つ製品だとを確信しています。

(おわり)



[2009-7-31]