森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

コーヒーもう一杯 山川直人

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コーヒーもう一杯
作者:山川 直人
出版社:株式会社エンターブレイン

山川直人は1982年ころ『くりくり』という、毎日新聞に折り込まれて来た子供新聞のような週刊紙に『おおかみくん』という4コマ漫画の連載を持っていました。

今でもよく思い出すのは(ディテールは覚えていませんが)

- おおかみくん、とんかつ屋発見 - カツ丼食べる - 意気揚々と店を出る -

というエピソードです。
3コマ目まではおおかみくんの充足感を描く最後のコマのためだけにあるようなもので、起承転結も序破急もありません。
いつもそうだったのですが、特にこれには私はかなり危惧を覚えたものです。
「彼は、今後大丈夫なのか?」
彼の表現したかったものはわかるのですが、それを必要としている読み手がはたして大勢いるものか?

その後、イラストや演劇の舞台デザインの仕事などをこなし、着々と力を蓄えていたようです。

第三巻の『路上の花』というエピソードでは、漫画家志望の若者が紆余曲折を経てデザイナーとして事務所を構えるまでになって
「「何とかなった」のだ」
といいますが、山川直人にもそう思う瞬間があったのでしょう。

しかし、今はそれ以上のものになって『漫画界の吟遊詩人』という冠まで戴くようになりました。
とはいえ、彼がこの『コーヒーもう一杯』で表出する思いは、『おおかみくん』から変わってはいません。

彼のマンガではドラマツルギーもカタストロフィーも非常に振幅が狭く、それによる読み手の心理の躍動は意図されていません。
ストーリーはただ『ある瞬間の心の色合い』を表現するための環境設定に過ぎないように思われます。極端に単純化して言えば、まさに『一杯のコーヒー』を啜る最後の瞬間の安堵感、そのために全紙数を費やしているように思えます。

絵柄は一見ギャグマンガのようですが実に精緻で、全ての濃淡を手描きのクロスハッチングで表現していたり、店頭の商品を全て緻密に描き込んでいたり、劇場の観客も全員の表情をしっかり描き分けたり、楽することを一切考えずにとにかく描き込みありきの姿勢には感服するしかありません。

ひとコマひとコマに味がある上に、ストーリーよりも心理描写を感じ取ることを要求されるので読むのにとても時間がかかります。芸術作品と対峙する感覚に陥ります。一話読むとかなり気持ちが満腹になります。

彼が尊敬する永島慎二とは全く方向性が違うし、本人はそんな大それた評価を好まないかもしれないけど、私は、表現者として、山川は永島を超えたと思うなあ。


[2009-5-8]