『隠し砦の三悪人』と『祇園の姉妹』
続けて二作品
隠し砦の三悪人和33年(1958)
監督:黒澤明
脚本:菊島隆三、小国英雄、橋本忍、黒澤明
撮影:山崎市雄
出演:
真壁六郎太=三船敏郎
雪姫=上原美佐
太平=千秋実
又七=藤原釜足
田所兵衛=藤田進
どちらの作品も世にたくさんの批評がありますので、私がいまさら述べることもありませんが、立て続けに見るという特異な状況での感想を述べてみましょう。
共に日本映画の至高の作品であって価値を比べるべき二作品ではありませんが、こうすることで如実に浮かび上がる事もあると思いますので。
共に日本映画の至高の作品であって価値を比べるべき二作品ではありませんが、こうすることで如実に浮かび上がる事もあると思いますので。
隠し砦の三悪人
まず『隠し砦の三悪人』ですが、噂に違わぬエンターテインメント作品で、文句なしに楽しめました。これが本当に日本かと疑うばかりのロケ地やセットの描写も素晴らしかったし、馬上の戦いや火祭りの描写も素晴らしかったと思います。
槍の試合は始めのうちは「姿三四郎」のように力んでいるだけかと思ったら、陣幕を効果的に使った緊張感のある戦いなど、静動あわせ持つ見事な描写でした。
高飛車でわがままではあるが領民思いの雪姫が、最後のシーンでは息を呑むばかりに気高く美しくなって登場しました。これなら命令されてみたい、と思うほどです。
ただ、田所兵衛(たどころひょうえ)の心の逡巡をしっかり描写したらもっと説得力が出たでしょうか?ここは、話をラストへ導入する重要なプロットですから。
祇園の姉妹
次に、売れない芸妓の姉妹を描く『祇園の姉妹』も実に見事な作品でした。エミール・ゾラを思わせる自然主義的な描写かと思いきや、笑いどころをちりばめたユーモアのある作品でもありました。
呉服屋の主がおもちゃに手玉に取られてミイラ取りがミイラになるシーンでは思わず吹き出してしまいました。
一方、ラスト近くのおもちゃが連れ去られるシーンは冷たい緊張が走りました。
山田五十鈴、19歳ですか。すごい女優ですね。居住まいたたずまい・所作・台詞回し。すべて堂々たる演技です。
溝口健二監督は当時のエピソードや女優さんの回想を聞くと、女性に対してはかなり封建的な態度の人だったようですが、そういう女性の悲哀を同情的に描く作品が多いですね。
この『祇園の姉妹』は、従順な姉もしたたかな妹も映画の中ではバッドエンドを迎えるわけですが、彼女ら人生はまだ半ばであるわけで、その後が見てみたくなります。ゾラやモーパッサンだったら、かなり悲惨なことになりそうですが、溝口監督はどんな想念をお持ちだったでしょうか?ご存命だったら訊いてみたかったです。
映像も、川面がきらきらと乱反射する一方橋の上はしっとりと落ち着いているなど、美しいカットが数多くありました。
どちらも偉大で比べるような二作品ではないけれど
さて、この2作品を比べると「隠し砦の三悪人」の方が20年以上も後なわけですが、調べてみなければそんな時代差は感じません。むしろ「隠し砦の三悪人」は戦国時代を題材にした娯楽作、「祇園の姉妹」は監督の同時代を描いた社会風刺劇、という事もあってか「祇園・・」の方が内容も作りもモダンな印象を受けました。黒澤監督は台詞の言い回しや演技に、歌舞伎を意識しているのでしょうか?
「虎の尾を踏む男たち」では勧進帳を題材に義に生きる男たちの世界を詩情豊かに描いて、娯楽性と共に文学的な香りをも感じさせる見事な出来でしたが、こういった大作ではやや大仰で過剰演技に感じてしまいました。
「虎の尾を踏む男たち」では勧進帳を題材に義に生きる男たちの世界を詩情豊かに描いて、娯楽性と共に文学的な香りをも感じさせる見事な出来でしたが、こういった大作ではやや大仰で過剰演技に感じてしまいました。
対して「祇園の姉妹」。普通は娯楽アクションの後にリアリズムでしたら退屈に感じてしまうと思うのですが、全くそんなことはなく、演技と台詞の隅々まで、セットの細部まで見るべきところがたくさんあるので、時間が短く感じます。カメラワークや美術、そして演出の間を含め、観客の集中力を引き付ける技は凄いの一語に尽きます。
「間」の取り方は、二人の監督ともに名人なのですが、内容は全く異なっています。
黒澤監督は緊張を凝縮するための「間」なのですが、溝口監督は「場の空気」を余すところなく感じとるための「間」であると思いました。
黒澤監督の「気迫」と、溝口監督が役者に要求する「反射」、の違いなのでしょうか。(「反射」については有名な話ですので、ご存じない方は検索してみてください)
黒澤監督は緊張を凝縮するための「間」なのですが、溝口監督は「場の空気」を余すところなく感じとるための「間」であると思いました。
黒澤監督の「気迫」と、溝口監督が役者に要求する「反射」、の違いなのでしょうか。(「反射」については有名な話ですので、ご存じない方は検索してみてください)
黒澤作品では登場人物がみな饒舌ですが、溝口作品は作品によって寡黙な脚本と饒舌な脚本がありますね。この「祇園の姉妹」は饒舌な方です。でも全体は平静です。
ああ、溝口・・
・・・ここまで読んでくださった方の一部には気づかれてしまったかもしれません。中立に書こうと思ったのですが、私にとっては溝口健二監督が本当に素晴らしく、書き進めるとその賛美の念を隠すことができないようです。
並べて評価する本稿の意味がなくなってしまうので、ここはこれで筆を休めようと思います。
私はベン・ハーみたいなハリウッド大作や007シリーズなども大好きであって、それより先に製作された黒澤作品の偉大さに一片の疑問もありません。
ただ、溝口作品の透徹した美学は他に追随するもののない孤高の価値を持っていると思うのです。
いずれにせよ、このような二監督の作品を自国語で味わえるのは幸せなことです。
そのような国は世界でも数少ないのですから。
そのような国は世界でも数少ないのですから。