森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

やはりスピーカーで モーツァルト『戴冠ミサ』

やはりスピーカーで モーツァルト『戴冠ミサ』

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ミサ曲ハ長調 K.317『戴冠ミサ』
『アヴェ・ヴェルム・コルプス』
ヴェスペレ ハ長調 K.339
『エクスルターテ・ユビラーテ』





数年前、急に『アヴェ・ヴェルム・コルプス』を指揮しなければいけなくなって、前の日の夕方に何でもいいから良い録音のものをと慌てて買ったCDでした。

アヴェ・ヴェルム・コルプスはずっと前に友人の結婚披露宴で歌ったきり。しかもその時は会場に着いてから急に「たまたま楽譜があるから、4パート揃ってるし飛び入りでやろう」と言い出すヤツがいて開始前数分練習しただけ。アカペラのアヴェ・ヴェルム・コルプス四重唱はあえなく四重症となり、「リベラ・メ」(我を救い給え)ってこういう気分の事を言うのかと思った次第。

で、譜面の勉強はしてピアノでも弾いてみたけど録音のいいヤツで本物の響きを体感して行きたい、と買ったのでした。


そんなわけで、このCDをヘッドホンでしか聴いたことがありませんでした。
その印象はどの曲もサウンドも表現もモヤモヤして毒にも薬にもならない冴えない演奏、というものでした。音楽的インスピレーションも楽譜から得られるものを上回る事は無かったのですが・・・

今日、ゴールデンウィーク前から無休で突っ走ってきた疲労の中でその「毒にも薬にもならない」演奏に癒やされたくて、買って初めてスピーカーで聴いたのです。

するとどうだろう、このふくよかな幸福感は。

部屋をヒンヤリとした空間に変えるエコーと、精緻で温かい合唱の抑揚、気圧がグングンと高下するようなドラムの躍動。
オーケストラ・合唱・独唱が一部の隙もなく渾然一体となって至福のゆとりを表現する。精緻さを極めた高い表現密度なのに神経質な印象が皆無なのは本当に凄まじい演奏能力と熟成度。

いろいろなヘッドホンで聴いてみたけど、こんなニュアンスを感じたことはありませんでした。
自分のリビングが教会に変わった様に感じるとともに音楽性がまるで別物に感じます。

モーツァルト若書きの戴冠ミサはしばしば実演で退屈な呑気さを感じさせるしCDでは妙に元気だったりします。正直言ってぼくはこのハ長調のミサを非常に軽視していたのだけど、この充実の至福感は何度でも繰り返し聴きたいと思えます。

ヴェスペレもエクスルターテ・ユビラーテもこれまで聴いたどれよりも喜ばしい演奏です。
やはり音楽はスピーカーで聴かなければいけませんね。

それに、恐るべしコープマンとアムステルダムバロック・オーケストラ&合唱団。


[2014-5-18]