森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

インバル&都響 マーラー 交響曲第9番

イメージ 1指揮:エリアフ・インバル



















インバル&都響の新マーラー・ツィクルスもいよいよ大詰め。
エネルギーに満ちたインバルという指揮者がこの曲をどう仕上げるか楽しみです。

1楽章からキビキビと、マッタリしたり逡巡したりせず進んでいきます。
「間」をあまり持たせなくとも、曲想の持ち味を際立たせているので場面転換も異なるニュアンスの輻輳も味わい深く感じ取れます。
しかしバルビローリやクレンペラーでこの曲に親しんだ私はこの早足にちょっと置いて行かれ気味です。
しかし音楽の解像感とサウンドの充実はさすが。それだけにもっとじっくりと楽しみたい。

ところが第4楽章。雄渾さを感じるほど朗々と始まった音楽は徐々に憂愁と諦念を深め、最後には存分に引き伸ばされた最弱音が肉体も精神も夕映えの中に溶け去る様を最も強い感慨となって投影しました。

解説によれば四楽章が順不同、同時並行で作曲されたこの交響曲は全体が円環を描くようであり、スタートからゴールへ向かうような作りではない、とされていますがインバルの音楽作りはハッキリとゴールを志向しています。
「死」というゴールを。

終わりは常に次の始まりでもあります。しかし人生の終わりは真の終わりであって死です。次はありません。
仮に輪廻転生があるとしても、別の自我がゼロからスタートするのです。

マーラーのこの終わりはこの世の止むことのない摂理の中に溶け入る事で死の空虚から逃れようとしているようです。
大地の歌」で描かれたこの「永遠」に相変化する「死」は、歌のないこの曲で一層ハッキリと表現されていると私は感じます。
今日のインバルと都響の演奏はそれを表現し尽くしていたと思います。

前3楽章が私にはちょっと物足りなかったので手放しで満点ではないけれど、慟哭と死と永遠への旅は十分に私を打ちのめしました。


イメージ 2
(カラヤン広場にて)
[2014-3-17]