森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

CD:レオンハルトとベルダーの『アンナ・マグダレーナ』

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『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』

  レオンハルトとベルダー

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最近よく聴くベルダーの『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』。ですが今朝はちょっと聴き辛く感じました。なんだか揺れ動くテンポがどうにもしっくりこない。
そこでレオンハルトのものに変えるとホッとしたのです。

ベルダーのこの演奏は始め、レオンハルトに慣れた耳には柔らかく揺れるテンポが新鮮です。
機構的に音の強弱が出せないチェンバロの演奏には必然的にテンポ・ルバートが多用されますが、ベルダーのそれは音量によるフレージングやダイナミクスをテンポでシミュレートしたようには全く聴こえず、品の良さから来る純粋な音楽的表現と感じられます。気まぐれやワガママさを感じることもありません。ロッキング状態にした重役椅子の様に快適です。

しかしこの揺れが今朝は心地良くなかったのです。
体調が悪く精神的にも疲れがたまっているので、しっかりサポートしてくれるような音楽を望んでいたのかもしれません。

レオンハルトは実に律儀で折り目正しい演奏です。
レオンハルトだけでなくエリー・アメリンクの歌も、歌というよりも「声という楽器を演奏した」と表現したくなるほど精緻で思わず襟を正したくなるような歌唱です。

だからベルダーの優雅な演奏に慣れ親しんだ後で、レオンハルトの演奏が好きではなくなっていたら寂しいなと危惧したものです。

しかしレオンハルトアメリンクの律儀さは音楽に対する愛と喜びが主(あるじ)であるということが当然のように前提となっているのです。それがベルダーを聴き込んだ後でも十分に感じ取れ、決して窮屈には感じません。
そして今朝の私をしっかりサポートしてくれたのです。

ソファでも身体が沈み込むようなものとある程度押し返してくるものがあって、時により寛げる硬さが違うものです。
レオンハルトとベルダーのCDは全く違う趣向でありながらどちらもとても素晴らしい演奏であり優劣を付けられるものではありません。


[2013-10-31]