森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ヤンソンスのベートーヴェン

ベートーベン交響曲全曲演奏会

指 揮:マリス・ヤンソンス

NHKの放送を録画視聴)
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マリス・ヤンソンスベートーヴェンはとても愛らしい。
ドイツらしい重厚感とは全く無縁で、そっち方面をまだ聴き尽くしていない向きには物足りなく感じるかもしれません。
緩徐楽章にしてもたっぷり歌わせるということがなく清々しく流れていく様子は潔いほどです。
だけど、どのフレーズも生命感に溢れていて思わず耳をそばだててしまいます。

ベートーヴェン交響曲といえばフルトヴェングラーベルリン・フィルの総毛立った頭から火を吹きそうな『運命』から入った私ですが、どれだけ突き詰めてもやっぱりガチガチ・ゴリゴリのドイツ系の演奏が好きな事には間違いありません。
でもいつだったか、日本フィルの演奏会で皇帝・運命・田園という無茶苦茶なプログラムには、大食らいの高校生だったにもかかわらずゲンナリしてしまったものです。
しかしヤンソンスの演奏だったならきっと楽しめたのではないでしょうか。そんな気がします。

サウンドはドッシリした低音に支えられて艶やかな高音が歌う、豊かで充実したものです。だから物足りなさはありません。
音楽は細部まで入念な表情付けがされて、速めのインテンポですが性急なニュアンスは微塵もなく自然です。

そんなだから第一、第二、第四などは特に心惹かれる音楽になっています。

かと言って英雄の第一楽章はことさらに軽快感を出しているわけでもありません。
ヴァイオリンとビオラトレモロをハッキリ打ち出せば進行感が出ますがそうはせず旋律主体です。
中途半端といえば中途半端、いい塩梅と言えばいい塩梅。私は中途半端には感じませんでしたが。

田園も流麗であってノンビリとしてはいません。

やはり物足りないのは第七と第九。
これは鋭角的なリズムやピリッとした休止やタップリとした盛り上げが欲しいところです。
しかし興奮や感激の代わりに精緻で流麗な純音楽があり、退屈することはありません。


いくつかのベートーヴェン交響曲全集を持っていますが、一気に通して楽しく聴けたのはこれが初めてです。
ヘレヴェッヘもいい線行ってましたが終盤で疲れました。
それは、彼らが第七・第九の持つエネルギーに気負っていると感じた事と、時たま見せる奇をてらった表情付けに違和感を感じながらの鑑賞だったからです。
ヤンソンスバイエルン放送交響楽団にそんな疲れを感じることはありません。指揮者とオーケストラの持つ歌心が素直に発露した喜びの音楽だからです。そう感じられました。

昔同様な好感を持ち、友人からは軽くてつまらんと言われたスウィトナー-ベルリン・シュターツカペレ(私が初めて買ったCDです!!)の第四を久しぶりに取り出して聴いてみました。
比べればそれでも遥かに堂々たるドイツのベートーヴェンでした。
しかしおいそれと聴き流せないし、一度聴いたら満腹感解消のためにインターバルを置きたくなってしまいます。
対してマリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団の演奏はずっと浸っていたい。そんなベートーヴェンでした。


[2013-3-19]