森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

藤原歌劇団公演 歌劇 『夢遊病の女』

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歌劇 『夢遊病の女』

出 演:
 アミーナ=高橋薫
 エルヴィーノ=小山陽二郎
 ロドルフォ伯爵=妻屋秀和
 テレーザ=森山京
 リーザ=関真理子
 アレッシオ=和下田大典
合 唱:藤原歌劇団合唱部
指 揮:園田隆一郎

2012年9月8日 新国立劇場オペラパレス
NHKの放送を録画視聴)



外国人歌手を招かず日本人だけで演じたものを何年かぶりで見ました。
ソプラノの難曲をどう聴かせてくれるか?
メトロポリタンやスカラ座だったら「○○のアミーナはどんなだろう?」と想いを巡らせたりするのですが日本人だというと「歌いこなせるのか?」と思ってしまうのは素人の浅はかさです。
結果、そんな心配はまったく不要でした。

もちろん、海外のスター歌手たちと比べれば出色のパフォーマンスというわけにはいかないけど、ようやく歌えているなんてレベルではないしちゃんとスリルも感じさせてくれます。
特に高橋薫子さんはアミーナを楽々と歌っているようにさえ見えます。

とはいえ「本場のオペラと違う」と感じたのは確かです。
それは合唱の素晴らしさ。
オーケストラと一体化して一糸乱れぬハーモニーと抑揚。
オペラにおいて「その他大勢の声」として挿入される合唱が味わい深い音楽作品として存在感を示し、高い完成度を楽しむことができます。
こんなピシッとした合唱は滅多に聴けるものではありません。

そして各々の歌手も音楽にぴたりとハマッて、ワガママを感じることがありません。
指揮者の呼吸が隅々まで浸透して全体が一つの意図に貢献している感覚は、海外のオペラではまず感じることができないものです。
まるで合唱も独唱も管弦楽の一部のようでさえあります。

すごい実力者たちの我がぶつかり合って白熱した舞台を作り上げるといった凄さはないけど、これはこれでとても安心して作品に浸ることができる、やはり日本人独自の美意識を表した優れた舞台芸術になっていると感じたのです。
メトでもパリ・オペラ座でもミラノ・スカラ座でも、いつもいつも合唱や独唱のズレが気になってしまう私にはとても心地良いものでした。

欧米のオペラファンはこういう舞台をどのように感じるのでしょう?
ひょっとしたらあまりにオーガナイズされていて窮屈に感じるのかもしれません。
でも私はあの肉食系男女が恐るべき体躯を全力で駆使して吼えまくる凄まじいエネルギーの渦巻く舞台劇とはまた異なるオペラとして、これも思いっきり支持したいと思うのです。


[2013-2-24]