森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

『悲愴』 フェドセーエフとチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ

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指 揮:ウラディーミル・フェドセーエフ
管弦楽チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ

テレビ朝日の放送を録画視聴)


私が初めてチャイコフスキー交響曲に夢中になったのはロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団のLPで5番を聴いた時でした。
そのダイナミックなロマンは本当に衝撃的で、何十回も聴いて全てのフレージングやアーティキュレーションを暗記してしまったほどです。

昨秋そのロジェストヴェンスキーが読売日本交響楽団を振る5番の演奏会があったのですが、チケットを買っておきながら仕事の都合でどうしても行く事ができませんでした。
悔やまれます。

そしてそのちょうど二週間後が最近放送されたこのライブです。
コンダクターは逃しましたがせめてオケだけでも聴いておこうかと、本当はフェドセーエフという指揮者は肌が合わないのですが録画視聴しました。

ちなみに1930年創設のモスクワ放送交響楽団は1993年にチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラと改称されました。
知らなかったらマイナーオーケストラと勘違いしてしまうところです。

サウンドは硬質で重量感のあるストリングに直線的な金管が溶け合わずに重なるものです。
ココら辺はメロディアのナローな箱庭サウンドから想像されるのと同様ですが、弦楽のいぶし銀のような美しさはLPからは聴けなかったものです。

しかし今のフェドセーエフの音楽性なのか、硬質なサウンドながら表現は柔らかく、金管もあらゆるフレーズが伸びきらずにフェードアウトする吹き方で無闇矢鱈なロシアンパワーはありません。

そしてチャイコフスキーのロマンがうねる事はなく、テンポは変動するけど何処でも厚く美しいサウンドはまるでブルックナーの緩徐楽章のような表現手法です。
私の知っているフェドセーエフとはずいぶん違うような気がします。
絶望・懐古・カラ元気・諦観。そんな物たちをグイグイと突きつけてくる悲愴ではありません。
これはこれで私の好みではないけどステレオタイプではない別の美しさを感じさせてくれたことは確かです。
聴いていて気分が沈んでしまうようなことはないけれど、シルキーな輝きも金属的な輝きも優雅さも無いけれど、いぶし銀の輝きで描かれる安定の上の繊細さはここでしか聴けない美感にあふれたものでした。
満足です。


余談ですがクレジットロールを見ていたら、翻訳がイリーナ・メジューエワだったので驚いてしまいました。


[2013-1-5]