森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

バイロイト音楽祭2012 『パルジファル』

舞台神聖祭典劇 「パルジファル

合 唱:バイロイト祝祭合唱団
指 揮:フィリップ・ジョルダン
演 出:シュテファン・ヘアハイム
出 演:
 アンフォルタス=デトレフ・ロート
 ティトゥレル=ディオゲネスランデス
 グルネマンツ=ヨン・クワンチュル
 パルジファル=ブルクハルト・フリッツ
 クリングゾル=トーマス・イェザトコ
 クンドリ=スーザン・マクリーン

2012年8月11日 バイロイト祝祭劇場
NHKの放送を録画視聴)


悪趣味で謎な演出。
ヨーロッパという所は時に生理的嫌悪感を催す映像を出してきます。
マカロニ・ウエスタンやホラー映画や、昔物議をかもしたベネトンの大広告看板とか。
それらはアメリカの同種のものが脳天気なドッキリ系なのに対し、陰湿な生々しさを持ったものです。

ここでもそうした映像と、ナチスの兵士やハーケンクロイツなど非常に不愉快なギミックを多数登場させて、作曲家自身とは全く無関係なその後のドイツとワーグナー家の歴史を無知な愚か者が覚醒する戦いとして描いているわけです。
まあ、そういった大枠は分かるのだけど演出の細部には謎がたくさんあって音楽と詩に集中することは不可能です。

パルジファルでそれをやる必然性は何なのか?何か表現したいものがあるなら自分で脚本を書き舞台劇として上演すれば良いのではないでしょうか?
それならばパルジファルだけでなく他のワーグナーのオペラからも自由に抜粋できるのだし。

イメージ 1
またパルジファル役のブルクハルト・フリッツがまっすぐ歩くことも困難と見て取れる程の肥満なのがまた興ざめです。
舞台俳優がこういう姿をしていることを私は許すことができません。

もちろんそうしたキャラクターに特化した役者というならば話は別です。しかし自他共に認めるヘルデンテノールとして、歌だけでなく英雄を体現できる姿形を保っておくのも使命だと思うのです。

このシーンは彼の肥満体を利用したようにみえるあざとい演出。イヤです。


総じて言えば私はとても嫌いな舞台です。

しかし演奏に関して言えば大変素晴らしかったと感じました。

フィリップ・ジョルダンという指揮者を知りませんでしたが若くしてバイロイトに呼ばれるほどですから認められた逸材なのでしょう。
大変しなやかで、大げさではなくともドラマをしっかりと支え盛り上げ、一音一音にしっかりとした呼吸が息づいている素晴らしく魂の入った演奏でした。
ひたすら続く美しい音楽をいつまでも聴き続けていたいと感じさせました。

肥満のタイトルロールも歌に関しては決して攻撃的にならないなめらかな力強さを最後まで維持して、ジークフリートではなくローエングリンパルジファルにふさわしい歌い方を高く評価できます。
クンドリ役のスーザン・マクリーンもエキセントリックな役を聴きやすく、しかし不足を感じず堂々と歌いました。
見せ場の多いヨン・クワンチュルはいつもどおり、ほんとうに素晴らしい。

見終えた感覚は、醜い舞台と美しい音楽が入り交じって非常に複雑なものです。

じつにもったいない。


イメージ 2
ナチスの大ボスであるクリングゾル

パンツ一丁でノリにノッた挙句自らカツラを投げ捨て大暴れ。

こんな変態で良いのか・・・

これが舞台神聖祭典劇・・・




[2012-12-13]