森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

パリ・オペラ座 『ペレアスとメリザンド』


指 揮:フィリップ・ジョルダン
演 出:ロバート・ウィルソン
合 唱:パリ国立歌劇場合唱団
管弦楽:パリ国立歌劇場管弦楽団
出 演:
メリザンド=エレナ・ツァラゴワ
ペレアス=ステファーヌ・デグー
ゴロー=ヴァンサン・ル・テクシエ
アルケル=フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
イニョルド=ジュリー・マトヴェ

2012年3月 パリ・オペラ座 バスチーユ
NHKの放送を録画視聴

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森でメリザンドと出会うゴロー


究極の不思議ちゃんメリザンドをめぐる兄弟の恋の鞘当て。

作中の人物のみならず観客にもメリザンドがどこの何者か、なぜまともな会話が成立しないのか全くわからないまま終わってしまう、幻想的というより謎のストーリー。
それを幻想的にきかせているのがドビュッシーの音楽です。

相手や状況を完全に無視してひたすら自分にだけ見える思いや印象をささやくメリザンド。その茫洋とした立ち居振る舞いには、歌が和声の海を泳ぎまわり決して主旋律をなぞらないというドビュッシーの手法が完全にマッチしています。

厚みのある和声は千変万化しグラデーションを描くので重くはありません。
そこをたゆたう歌はしばしばエキセントリックだけれども、明確な心理的焦点を結ばず強くはありません。

これを名演たらしめるにはオーケストラと歌と演技と美術の全てが一つのグラデーションを描くことに貢献しなければならないでしょう。


ロバート・ウィルソンの幻想的な演出はまるで『オルフェオ』とそっくりで、半神のオルフェオが黄泉の国へ旅する話と、現世に迷い込んでただけですぐに帰って行ってしまったようなメリザンドの話が重なります。

まるでパントマイムか日本舞踊のように、ゆるやかな動きや止め姿勢で情緒や意志を現す演出も、この世のものならざる印象を強めています。

オーケストラは安定して深いサウンドを鳴らしますがもう少し軽やかだったり重かったり、背景の動きをつけても良かったように思います。
しかしその中を泳ぎまわる歌手の面々は素晴らしく、ゴローのテクシエはもう少し柔らかくても良いと感じたもののペレアスのデグーもメリザンドのツァラゴワの完全に舞台とオーケストラに溶け込んで埋没しない素晴らしい歌唱でした。

ツァラゴワの容貌の美しさは特筆モノで、私はいつもオペラで配役の容姿が軽視されがちな事を疑問に思っているのですが、今回その重要さをはっきり感じることが出来ました。
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すぐに惹かれ合う。


何を尋ねてもまともな答えをせず、そのくせ本気の浮気はするという妙な主体性を示す、そして責められるようなことは何もないと、死の床においてさえはぐらかす。
そのかなりイライラする女性がツァラゴワの繊細な美貌によって説得力を持ち得ているのですから。
これが心身共に強健そうなネトレプコだったら「おちょくんなよ」となること必至です。

不思議ちゃんに説得力を感じさせるということで、ツァラゴワのゼンタを見てみたいと思いました。


私のこのオペラに対するイメージの中ではこれよりもっとシックリ来る舞台の可能性を感じるのですが、しかし今まで見た(3つに過ぎませんが)どれよりも個性的でありながらどれよりも納得でき楽しめた舞台でした。

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医師に「命に別条はないはず」と言われながら昏睡状態のメリザンド。

命のあることを示すこの手のポーズ、ずっと維持するのが大変そう・・・

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左手をおもむろに下ろし、息を引き取ったことを表します。

ミミの最後を思い出しますが、こちらはさらに静謐で厳かで儚く、悲しくなります。


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赤子を残しあの世へ去っていきます。



[2012-9-16]