森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

インバル=都響 『巨人』

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東京芸術劇場リニューアル記念
インバル=都響 新マーラー・ツィクルスⅠ

ピアノ:上原彩子

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第二番 変ロ長調 op.19
マーラー交響曲第一番ニ長調 『巨人』



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リニューアルされた東京芸術劇場は来年のサロネンが最初だと思っていたのだけど、衝動的にこの公演に来てしまいました。

一昨年の『千人の交響曲』に大変感銘を受けたので彼らのマーラーを聴いてみたかったのですが、リニューアル記念と重なって良い機会になりました。




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ホール改修の成果かオーケストラと指揮者の成果か、出だしからウッディーな音色に豊かな残響が相まってとてもリッチなサウンドです。

木を貼って音を柔らかくしたそうですが、今日の席でその恩恵に与れているのかは良くわかりません。




B席なのにこんなに遠い。


しかしバランスは大変良く、サントリーホールなどでは座席によっては反響音が大きすぎて楽器の音があらぬ方角から聴こえてくるという事もあるのですが、そういうことはなくしっかりした定位で各楽器の存在感と融け合いが大変気持ちのいい、家でオーディオ装置を聴くのが虚しくなるようなオーケストラサウンドを体験できました。

都響の演奏も気持ちが入っていてエキサイティングです。
ベートーヴェン出だしからイケる予感に満ちていて、バイオリンのトレモロには溢れ返らんばかりの生命力が感じられました。

上原彩子さんのピアノは収録も含めて初めて聴きました。
とてもきらびやかで繊細な音色です。
しかしベートーヴェンの強引に変化する曲想を繋ぎ合わせて自然に感じさせる大きな構想を持った音楽性は、情念や感性だけに頼ったものでないことは明らかです。
ベートーヴェン最初のピアノ協奏曲である第二番という地味な曲ですが、これだけ豊かに聴かせたのには驚きました。


休憩の後は待望の『巨人』

インバルの巨人は以前聴いたことがあります。
ちょっとパフォーマンス優先な感じがしたのですが、今日の演奏もそうだったかもしれません。

出だしはもったいぶらず動的な演奏で、自然の息吹に浸って気持ちを和ませるにはちょっとせわしないかもしれません。
しかし快活な部分との繋ぎ目に無理がなく、流れと見通しの良い音楽です。

休止を挟まずに始まる第二楽章も動感を打ち出したもので、中間部もロマンを立ち止まらずに歩きながら吟味するような印象です。

第三楽章のコントラバスソロは明るい音色とキッチリした音程で全く危なげなく、マッタリとした葬送曲と言うより素朴な民謡を繊細に表現したようで他では聴いたことのない素晴らしいソロでした。

中間部もやはり動感に満ちていて、私の感覚としてはもう少しかそけき表情をだして欲しいと感じました。

最終楽章はもうイケイケの大爆発です。
このイケイケ感がマーラーの中では巨人が今ひとつ人気の無いことの理由なのかもしれないけれど、私は人間にはこういうものも必要だと思うのです。

コンサートならではの現象として、また彼らの演奏姿勢を反映して、細かく吟味して「あそこの繊細さが・・」とか「ここの楽器の融け合いが・・」などと細かく言いたいことを吹き飛ばして、ゾクゾクするようなライブパフォーマンスを味わうことが出来ました。
もう自分は巨人にゾクゾクするようなことは無いのだろうと思っていたので、感動です。

コーダでは、以前はトランペットが起立していたと記憶しているのですが今日は8本のホルンと1本のトランペットが起立しました(なぜペットは1本?)。

うるさいことを言わせてもらうと、ホルンには起立パフォーマンスの前に音が転ばないように頑張って欲しかったのですが(今日のホルンはベートーヴェンからつまづきが多すぎました)・・・
トランペットのうち三人は演奏が始まってから遅刻して入って来ましたし(舞台袖で遠くのファンファーレを吹いてから入場したのだそうです。失礼しました。)、一人はミュートを落として盛大に騒音を出していました。うーん・・・

しかし総括するとライブ演奏として満足できました。
何よりも日本人のオーケストラが、演奏技術の話ではなく内容の面で、ここまでヨーロッパの精神を表現できるようになったことは大きな感慨を持って受け止めました。

例えば、メランコリックな曲でもパートによっては落ち着きのない音形や鋭いアクセントを打たなければなりません。日本人はどうも調和を乱すのが怖いらしく全パートがメランコリーに振られ、モッサリと演奏してしまうのです。しかしヨーロッパの音楽はそういうふうには作られていなくて、それぞれの仕事を最大限にした時に、それらが合わさって複雑で深い感慨が表現できるようになっているのです。

また無機質な音形に日本人は感情移入のしようがなく困ってしまうのですが、そこが音楽全体の中で絶望の陥穽であったり、飛躍への跳躍台であったりするのです。

インバルはそういうコントロールがとても巧みだと思うのです。
悪く言えば演出のカラクリが見えてしまうようですが、私は素直なのでそれに載ってとても揺さぶられてしまうのです。

随分先のことですが2014年にはこのツィクルスの締めくくりとして『千人の交響曲』が再演されます。
必ず行かなければ、と強く思いました。


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さて、リニューアルなった東京芸術劇場。しかしやはり不便です。

ロビーからまたエスカレーターに乗り、三階席には階段を歩いて登らなければなりません。












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三階にもカフェがあり、窓越しに腰掛けバーとテーブルがあります。

窓は半透明のスクリーンになっていて、外が柔らかく見えています。

今の季節の日中には良い工夫に思えますが、夜景はどう見えるでしょう?








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帰りは裏口も利用できます。

1階までスロープになっていて6階分をノンビリ歩いて降ります。

演奏を振り返り語り合える人がいるなら楽しい道になるでしょう。











[2012-9-15]