森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

新国立劇場 歌劇『ルサルカ』

ドヴォルザーク 歌劇『ルサルカ』
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演 出:ポール・カラン
指 揮:ヤロスラフ・キズリンク
合 唱:新国立劇場合唱団
出 演:
 ルサルカ=オリガ・グリャコヴァ
 イェジババ=ビルギット・レンメンルト
 王子=ペーター・ベルガー
 ヴォドニク=ミッシャ・シェロミアンスキー
 外国の王女=ブリギッテ・ピンター


2011年11月29日 新国立劇場オペラパレス
(オリジナル・プロダクション:ノルウェー国立歌劇場)

NHKの放送を録画視聴


心のなかで3つの大きな事がせめぎ合います。


まずは美しいということ。

とてつもなく美しい。美術も、雰囲気も、音楽も。
そして主役のグリャコヴァも。


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次に脚本の謎。

ルサルカは自分から望んで言わば片思いで人間になり王子に近づいたにもかかわらず「自分は水の精だから愛はあっても情熱はない」などと言って自分に触れさせず結果的に王子の関心が他に移ってしうことになります。
それなのに「なぜ裏切った」となじる続ける事になってしまうのはいったい?






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そして演出意図。

はじめルサルカは自室のベッドの上で起き上がって外を眺めています。
その自室は舞台にボツンとせり上がってまるで人形の家。







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そしてベッドを降りたルサルカはまさに足元にあった人形の家から王子と王女の人形を取り出し、キスをセさてご満悦。
枕元には父親と思われる男がうたた寝をしています。

ノルウェーのプロダクションということもあり即座にイプセンの人形の家が思い出されます。

次に姿見に写った自分の姿に手を惹かれて鏡の中へ入っていくルサルカ。ここまでが序曲の最中に演じられます。






そして最後のシーン。
水底を表す揺らめく青の背景が暗転し、死んで横たわっていた王子がおもむろに起き上がり背景へ去っていきます。

今まで恨み言を並べ立てていたルサルカが突然語り部となって人間の情愛への賛美を歌います。

そして冒頭の自室がせり上がり自分のベッドへ戻っていきます。
王女の人形を投げ捨て応じの人形だけを窓辺に据えます。
父親の姿はありません。


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美しいし終盤の音楽的盛り上がりに感動もしたのだけど、ルサルカの身勝手な言い分にしらけた思いでいたのですが、どうもこの演出意図を解明しなければならないようです。

冒頭は演技的にも少女を表現しているように見受けられます。
してみると、家庭に守られた少女が大人の恋をして幻想を打ち破られそれを乗り越える、という通過儀礼ストーリーという事でしょうか。

それならばルサルカの腑に落ちない身勝手さも理解できます。
「裏切った」というなじり言葉も、純真無垢な夢見る少女の言葉としてなら、わからなくありません。
憧れのおにいさんとデートしたらいきなりキスしようとされた。イヤイヤしたら他の女の人と付き合い始めてしまった。「ひどい男」「裏切り者」
そんな感じでしょう。

しかしそれならば、謎めいた暗示のようなことをせずわかりやすく演出した方が美しさに入り込めると思うのですが。ヨーロッパの演出家はどうも、平明さを嫌うようです。

音楽は『スラブ舞曲』や『ドゥムキー』などを想起させる馴染みやすいものです。
オペラらしい劇的な表現もたっぷり盛り込まれています。
ただしワーグナーのように一幕の間切れ目なく音楽が続くのでドヴォルザークのメロディーメーカーとしての美点が少し曖昧になっているように思われ、始まりと終わりがはっきりしたアリアをもっとたくさん聴いてみたいと感じました。


オリガ・グリャコヴァは美しい声でパワーもあるのですが、「歌っている時の顔」というのがあって技巧的な箇所でいつもそのストーリーに即さない表情になってしまうのが気になりました。

王子役のペーター・ベルガーはとてもチャーミングなテノールで、安心して楽しめました。

日本人のキャストたちも全く申し分なかったので脇役ばかりではもったいない気もしますが、ノルウェーのプロダクションそのままの雰囲気を持ってくるという事だったのでしょう。
大成功だったと思います。

滅多に上演されないプログラムなのでストレートな演出で見たかった気もしますが、大変上質なプロダクションだっとことは間違いありません。


[2012-7-1]