森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

『ノルウェイの森』 を読んで

小説 『ノルウェイの森

村上春樹の小説を初めて読みました。

登場人物の一人が
「30年生き残った書物しか読まない。なぜならすぐに消えてしまうようなものを読むような時間がないからだ。」
と言います。

自分と同じ事言うヤツがいて思わずニヤッとしてしまいましたが、何も新しい読み物を軽んじているわけではなく、既に一生かかっても読み切れない分量のリストが出来ているので毎月何十冊と出版される新刊に手を付けられないだけのことです。

しかし時々人の薦めや他の文芸や映画などとの関連や、たまには平台のポップに目が留まるなどしてリストに割り込んでくるものがあるのです。

この『ノルウェイの森』は書かれて25年、やはり割り込み組でした。


非常に平易で流れるような文体ですが、登場人物の言葉はみなアクが強く、寡黙な人物も饒舌な人物もみなそれぞれの持つ不動のテンポで言葉を突きつけてきます。

様々な個性が描かれますが、実在感のある社会、現実的な人物たちと絡みあう主人公の性格や想いはボンヤリと焦点を結ばず、理屈っぽい言葉運びで示される心象は決して輪郭を明らかにしません。

掴みどころのないヒロインたち。ある事件をキッカケに心の一部にフタをした主人公。

ポロックのポーリング画法の様に、特段の事象を描くのではなく、描かれた物から感じ取れる様々な印象、変化、印象どうし変化と変化の絡み合い、そうした物たちが読み手の心に深い感銘と想いの掘り起こしをしてくれるのです。

雑にまとめれば、少年少女から大人への変わり目で捨てるべきものを捨てられる者、抱えたままアンバランスに生きる者、変化を拒み人生を閉じる者、それぞれのあり方を理解するのではなく心で感じさせる、そうした小説でした。

また社会の有象無象に己をさらし清濁併せ呑んででも前へ前へと進んでゆく人間と、それを恐れ背を向けたりうつ向いたりする人間とのコントラストを描いたとも言えるでしょう。

フィッツジェラルドを繰り返し読む主人公というのは自己否定と自己形成をテーマにしているのかも知れません。
そうだとすると虚しいラストシーンです。


私にとっては何のストレスもなくスッと入ってくる読み物でした。
名作かどうかはわかりません。
現実に心当たりのある事象や人物像ばかりで構成されている読み物でしたので、「だからどうした」という物足りなさと、「そう、そうだったよ」という若々しさへの憧憬や切なさの両方を感じされせくれました。

[2012-5-28]