森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

楽劇《サロメ》 ナージャ・ミヒャエル


管弦楽:コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
指 揮:フィリップ・ジョルダン
出 演:
サロメナージャ・ミヒャエル
ロディアス=ミカエラ・シュースター
ヘロデ=トーマス・モーザー
カナーン=ミヒャエル・フォレ
2008年3月3,6,8日、コヴェント・ガーデン王立歌劇場


第二次世界大戦時の軍服の男たちが一面青白い部屋でメイドをもてあそんでいるところから始まります。
メイドの一人は全裸で体は透き通るような白。
サロメの衣装も真っ白。

この真っ白が後半の異様さを十分予見させます。


サロメ役のナージャ・ミヒャエルは始めからあちら側へ行ってしまっているようです。

カナーンとのやり取りも父ヘロデとのやり取りも噛み合わないのは当然として、噛み合わない言葉を重ねるごとに細い神経をキリのように研ぎ澄ましてキリキリと場を切り裂いていくようです。

ナージャ・ミヒャエルは巧いとかいう次元を通り越してサロメが憑依したような異様さを見せつけます。
高音が少し金切り声になってしまいがちなので異様さがいや増します。

実際にそこでサロメが騒ぎを起こしているようなので、演出などは目に入らなくなります。
首を銀の盆に載せないので「あれ?」とは思いますが、腕に抱えてふらつき歩くのでやがて血だらけになって、ヨカナーンの首へ向けた独り言をつぶやき続ける、その異様な光景はもはやこの劇から何を感じれば良いのか、それを感じても良いものか、わからなくなってきます。

演出といえば、生活感も生命感もない青白い空間や兵士の妙に率直そうな声、ヘロデとヘロディアスのありきたりな俗物性やがこの異常性を際立たせているのも間違いありません。

ほとんど映像に出ない二階の宴会風景は劇場では常に観客の目に入っていたでしょうが、それがあればより一階の惨劇とのコントラストが得られたかも知れません。

また、踊りのシーンでは背景に巨大な裸の背中や開いていくファスナーなどが映し出され官能性を暗示しているのですが、この映像ではほとんど取り上げていないのは残念なところです。

いずれにせよ、このナージャ・ミヒャエルの歌唱と演技、特に表情のさまよい方は、何か特別なものが見たいなら必見です。

管弦楽リヒャルト・シュトラウスの官能性を出せていました。


私はベームとストラータスのサロメをずっと見てきたのですが、あの古典の異世界を覗いて禁断の美と怪奇をおとぎ話として見るようなものではなく、今ここにそれを持ってきてしまった、というようなインパクトでした。

スリムでしなやかで美しいナージャ・ミヒャエルはテレサ・ストラータスとよく似ていますが、鋭利な狂気は比べ物になりません。

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