森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

蟻の街の子供たち - 北原怜子 煩悶のドキュメント 本文

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蟻の街の子供たち

北原怜子
1989年







近頃はちり紙交換もあまり見かけなくなりましたが、昔は 『くずやさん』 という人たちが町を流していました。

紙や金属類などを秤で量って引き取り、小銭を置いていくのです。

その 『くずや』 『くずひろい』 などが時々やってくるので、そんな時親たちは新聞紙、子供たちは急遽地域の掃除人となって紙切れやガラス瓶や釘などを集めて来て 『くずやさん』 に渡しては小銭をもらったり「こんなのはダメだよ~」などとダメ出しをされたりしながら、楽しく小遣い稼ぎをしたものです。

私が子供の頃住んでいた地域にはドブ川が流れていて、それに沿う道路にはたくさんのリヤカーが停められていました。

その周辺は 『バタヤ部落』 といい、親たちからは「近寄ってはだめよ」とキツくいわれていました。

『バタヤ部落』と言われても言葉だけでは何のことかよく分からないのですが、様子から何となく『くずやさん』たちの住処があって、その中には元締めがいてお金のやり取りをしてるのだろう、と想像していました。

「だめよ」と言われても理屈が分からなければますます行ってみたくなるのが子供というものです。

それに「集めたガラクタを直接持っていけばくずやさんよりも高く買ってくれるんだよ」などと知恵を働かせる子供もいるものだから、怖いもの見たさがどんどん膨れ上がっていくわけです。

果たして、何名かの子供で『バタヤ部落』のホンの入り口にある積み置き倉庫のような建物に乗り込んでいって恐々と「すいませーん」と声をかけるも、反応がありません。
何度か読んでみても一向に返事がありません。

なんとしても取引をするという熱意も勇気もない、ただの怖いもの見たさであったその子供たちは人気のないガラクタの山の静寂に恐ろしくなり、走るように逃げ帰って来てそれっきり怖いもの見たさは霧散してしまったのです。


蟻の街

蟻の街とは貧しい人たちを啓蒙・救済するために松居 桃楼(まつい とうる)氏が発起人であり後見人を勤める一種の自治会と思われる 『蟻の会』 の拠点である集落を指します。

言問橋のたもとにあり、松居氏自身この集落に居住し『会長さん』と共に住民を支えています。


北原 怜子(きたはら さとこ)

この本は、農大教授のご令嬢であり、桜蔭高校・昭和薬専を卒業するという才女でありながら蟻の街と交流を持ち、子供たちを勇気付け、最後にはそこの住人となってリヤカーを引いたという北原怜子さんの書簡と子供たちの作文をまとめたものです。

彼女は信徒である友人やミッションスクールに入学した妹を通してカトリック教会を知り、「あこがれていた巫女さんと同じ空気を感じた」修道女に惹かれて公教要理を学び始め、洗礼を受け、社会貢献に漠然と使命感を感じはじめました。

そこへ蟻の街を支援するゼノ修道士とたまたま出会い、初めて貧民屈というものを知ったのです。

彼女の献身のはじまりは序文で田中耕太郎氏が忌憚なく言うとおり 「煩悶や紆余曲折を経て到達したものではな」く 「純真な少女のそれに過ぎな」かったのかもしれません。

北原さんは自分を次のように分析してみせます。

私は、少し動くと熱を出して倒れる弱虫です。
私は、世間のことを何一知らない赤ん坊です。
子供と一緒で、すぐ向きになる怒りん坊です。
プランがたたないうちに実行を始めるあわてん坊です。

書簡を読み実際に起こったエピソードから伺える彼女の人柄が完璧に要約されています。

ひとつ足りないと私が思うのは、「負けず嫌いで認められたがり」
彼女のバイタリティーの多くがその点に発していると感じます。
そしてその点がもっとも彼女自身を苦しめていくのです。

『慈善』や『献身』も然り。
それらを施していい事をした気になっていた事を自嘲し 『良心のモルヒネ』 と喝破しています。


彼女の(世俗における)もっとも重要な精神的支柱であり、かつ宗教的対立者であった松居氏。

氏は常日頃から、貧しい人を「救う」という上からの高慢な考えに怒り、パウロの使途行録を引用し「キリスト教は信ずるが、キリスト教徒を信ずることはできない」と指弾します。

観音菩薩の教えを援用し「バタヤにはバタヤに身を現じ泥棒には泥棒に身を現ずるだけの決心があるのに、カトリック信者にはそれだけのことができないのですか。」と彼女をしかりつけるのです。

松居氏自身はかつて実際に仏門をたたいたり、議論の最中に聖書の一説を自在に引用できるほどキリスト教にも深い造詣を持っています。
しかし実際に身をおいてみた後それら宗教の現実のあり方に失望し信徒にはならなかったといいます。

この北原怜子さんの書簡集を読むと、蟻の街や彼女の周囲のエピソードに感心し、貧しい子供たちの世の中を見るまなざしの鋭さや、たとえ虐げられても社会につくすことを喜ぶ純粋さに心を打たれます。
しかし何より、そのように厳しく信念の鎧をまとった松居氏を納得させついにカトリックの洗礼を受けさせる程『真の献身』を突き詰めていった北原さんの心の煩悶と紆余曲折を見事に示した迫真のドキュメントとなっているのです。


彼女は本当に身体が弱かったのです。
28歳という若さで身も心もささげ尽くしてしまいました。

それにしても北原さんの父母や姉妹のかたたちも、彼女の生き方を疎んじることなく大変協力的であったことに、敬服します。


[2011-10-10]