森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

アバド - ベルリン・フィルの 《大地の歌》

マーラー没後100年記念演奏会イメージ 1

交響曲 第10番から アダージョ


2011年5月18日


1911年5月18日に没したマーラーの命日にベルリンで行われた演奏会のライブ収録です。


アバドベルリン・フィルを明るく優美な音で鳴らしますが、この曲のぶっきら棒な出だしも決然としながらどこか優しさを感じる音です。

アバドベルリン・フィルのいつもの演奏の通り、サウンドの重厚さや全体的な音色の綾よりも各声部の隅々まで表現意欲を行き渡らせる事に力を入れた活き活きとした演奏です。

すべての楽器が主役として表現力を誇示するようなタップリとコクのある演奏は他のオーケストラでは味わい難く、例えばルツェルン祝祭管弦楽団は前向きな意欲に満ち溢れ過ぎていて温かみや安らぎや純粋な美しさを感じるためには少々体温が高すぎる気がしてしまいます。

それに対してベルリン・フィルフィルハーモニーホールで行ったこの演奏は精神的充足と技術的充実が高次元で結実したもので、演奏行為というパフォーマンスを忘れさせ真に音楽的内容に没入できる幸福な空間と時間を作り出していました。

東洋的な寂寥感も素晴らしく、パユのフルートや樫本さんのヴァイオリンもオーケストラ全体を深みへ引き込む素晴らしい表現でした。


イメージ 2
聴く前はヨナス・カウフマンの歌唱にとても興味があったのですが、彼の声はこの曲には少々華麗過ぎたようです。

出だしから声に「泣き」が入るのですが、それが彼の持ち味の一部として始終テキストとは無関係に聴かれるのでこの曲のニヒリズムや死の影といった暗さが感じられません。

第3・5楽章も「泣き」を入れるような曲ではないのでややチグハグな感じは否めませんでした。




イメージ 3
逆にオッターはいつも通り知的な語り部のような歌唱でこの曲のアルトパートにまさにうってつけです。

いつもの彼女よりいっそう感情的な没入の度合いが高いと感じられます。

高音部は声の美しさよりも繊細な表現に振ったようで少し響きが痩せて聴こえるのですが、そんな事をどうでもよいと感じさせるだけの説得力と精神性を持った歌唱でした。





アバドが病気を経験したことでマーラーの無常観とこの世への愛に共感を深めたことは間違いないでしょう。

それと彼の持ち前の明るい歌謡性が高度な芸術性で結実した演奏でした。

終演後の静寂と終わらないスタンディングオベーションもそれを示しています。
イメージ 4
演奏者たちも感無量の様子です。

イメージ 5









コンマスの樫本さん涙ぐむ。


[2011-8-27]