ベルリン・フィルハーモニー ヨーロッパ・コンサート2011
ベルリン・フィルハーモニー ヨーロッパ・コンサート2011
今年はマドリッドのレアル劇場で開催されました。
カニサレスのギターソロで《アランフェス協奏曲》
PAを使っているので非常に繊細なタッチで弾いています。
あるいは、他のクラシック楽器が生演奏なのにギターだけPAを使うことが屈辱的という考えもあるでしょう。
しかし近年のPAは非常に音質のいいものがありますし、なにより1000人以上も入るホールでギターの(他のクラシック楽器に比べ)かそけき音量で「本来の繊細さを伝える」ことなど絶対に不可能なのだから、そんな意地はさっさと捨てるべきだと常々考えていました。
カニサレスはさすがに頑迷なクラシックギタリストと違いそんな意地はなかったのでしょう。
しかしその演奏はどうでしょう。
私には「繊細」というより、あまりの弱音多用の弱々しさにソリストの身勝手ささえ感じるほどでした。
協奏曲の醍醐味であるオーケストラとのかけ合い、せめぎ合いは全く聴こえず、オーケストラ伴奏付きの「つぶやき」としか聞こえませんでした。
それにカニサレスの演奏は原典重視とはかけ離れた演奏のようです。
フラメンコが鳴り響く環境で生まれ育ったというから、仕方ないのでしょう。
でもクラシックギターを愛し演奏する物として、ベルリン・フィルの創立記念日の演奏会に登場しベルリン・フィルの聴衆を相手にする以上、「民族楽器」ではなく「クラシック・ギター」としての則を示して欲しかった。ソリストの人選も含めた上で。
そういったことを抜きにしても、カニサレスなら胸のすくような快演もできたはずなのだけど非常に行儀よく慎ましやかに進行していたことが尚更フラストレーションの元になってしまいました。
大好きな曲です。
もっとも、お気に入りの演奏は古いプレヴィンのものと一昨年のNHK交響楽団を指揮したプレヴィンの演奏です。
サイモン・ラトルはいつもどおり細部まで彫琢を尽くした美しい音楽を聴かせます。
いつも思うけどラトルが振るとベルリン・フィルの音が明るい。
カラヤン以来のネットリした暗さがありません。
佐渡裕さんの時にはありました。
とても美しいのだけど何か物足りなさも感じます。
特にこのラフマニノフ。
ラトルのフレージングが細かすぎ、アクセントでの造形が精緻なこともあって、ロシア的なおおらかさや深い呼吸があまり感じられません。
たいそうロマンチックなのだけど、そのロマンがまるでヴォーン・ウィリアムズ。
メロディーの息継ぎやアクセント、フッと力を抜くところ、低音の効かせ方。
ああ、これが《タリスの主題による幻想曲》だったら良かったのに。
ラトルファンはたくさんいるでしょうからあまり敵を作りたくはないけど、彼の音楽の素晴らしい美しさと生命力の方向性がスペインやロシアの音楽とは合っていないと感じる演奏会でした。
[2011-7-29]