森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

佐渡裕 ベルリン・フィルを振る


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佐渡裕さん。

1993年からコンセール・ラムルーの首席指揮者として好評を得て、ドキュメンタリーも放送されていたので気になっていました。

コンセール・ラムルーでは非常にエネルギッシュな指導と並んで、コンサート前の市民講座を開催するなどして、クラシック音楽と楽団の新興に非常に貢献している様子が印象的でした。

その反面、エネルギッシュさが音楽にも反映してどうもイケイケの情熱パフォーマンスに偏っている気がして、私の音楽的趣味とは違うという感想も持ち合わせていました。

その佐渡さん、小学校の卒業文集で「ベルリン・フィルを指揮したい」と書いた彼がとうとうその夢を叶える日が来ました。

音楽的に余り好みではないと考えていた佐渡さんの、この晴れ舞台を見ておきたいと思ったのは、彼のひたむきさにほだされているからだということも白状しておかねばなりません。


6月5日に『夢のタクトを振る日』という、国分太一さんが案内役になったドキュメンタリーをTBSで放送し、11日にはNHKのプレミアムシアターでその演奏会が放送されました。

ドキュメンタリーを見てから演奏会を聴くというのはまた違った感興があります。

ドキュメンタリーではやはり題名のない音楽会と同じような関西のノリとパワーが目立ちました。

ところが演奏会を聴き始めて驚きました。


武満徹の《フロム・ミー・フロウズ・ホワット・ユー・コール・タイム》

首席フルート奏者のエマニュエル・パユのソロから始まるその音色は尺八や篠笛を模してまるで東洋の瞑想のような、あるいは琵琶法師の語りのような音楽です。

「ああ、この開始がパユで良かった」
そう思わせます。

彼は東洋的な響きを自在に操っており、オーケストラ全体をうまく武満のモードに引き入れていくように感じられます。

すぐに弦が入りますが、往年のベルリン・フィルのネットリと仄暗いセクシーサウンドが大変心地良くしかし極めて真面目に瞑想の境地を壊さずに、たゆとうような流れに身を沈めていきます。

時間の経過をビートではなくフローで表現するというのは西洋でも昔は当たり前だったのですが、バロック時代以降忘れ去られていました。
ここでの
ベルリン・フィルは、それを完全に思い出しているようです。

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打楽器奏者たちも大変鋭敏で多彩な音楽を聴かせてくれました。

拍節ではない 『フロー』 の打楽器音楽のなんと豊かなことでしょう。







もちろん金管ベルリン・フィルならではの美しい音色で武満の濃密な時間を彩っていました。

小澤-ボストン響よりも遥かに美しく幻想的で複雑な音楽でありました。
この演奏はこの曲のリファレンスになることでしょう。

そして、佐渡さんがこのような音楽をされるとは!
全く、私の目は節穴でした。



佐渡さんは、やたら劇的なパフォーマンスをするのだろうという予想は見事に覆されました。

曲想をコントロールし、ベルリン・フィルのコクのある弱音をたっぷりと聴かせる大人の演出。
シャープで軽やかなリズム。

第四楽章コーダの金管は咆哮するのでなく、日の出が徐々に朝を満たしていくように遠近感と柔らかいクレッシェンドで、スカッとするカタストロフィーではなく、充足感を感じさせてくれました。

怒りと闘争の音楽ではなく、救済の音楽にさえ聴こえるようです。
まるで、ベートーヴェンの第九のような《革命》でした。

正直言って迫力のある《革命》は聴き過ぎて感動が無くなっているのですが、最初から最後まで飽きること無く没入できる久々の《革命》でした。


会場には日本人の姿が目立ちましたが、終演後のスタンディングオベーションは日本人だけではありません。
オーケストラが去ってしまった後もかなりの観客が拍手を続けました。
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「途中から涙が止まらなくてさ」

この後手にした青いタオルに顔をうずめてしまいます。



指 揮:佐渡裕
打楽器:ラファエル・ヘーガー、シモン・レスラー、フランツ・シンドルベック、ヤン・シュリヒテ、ウィーラント・ウェルツェル
2011年5月20日 フィルハーモニーホール