森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

MET ゲオルギューの 《ラ・ボエーム》

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プッチーニ 歌劇 《ラ・ボエーム
合 唱:メトロポリタン歌劇場合唱団
バレエ:メトロポリタン歌劇場バレエ
出 演:
ロドルフォ=ラモン・ヴァルガス
ムゼッタ=アインホア・アルテタ
マルチェッロ=リュドヴィク・テジエ



METライブビューイング

NHKの放送を録画視聴


オペラでは贅沢さを楽しみたいという欲求がありますので、ゼフィレッリの演出でゲオルギューのミミとくればいやが上にも期待が高まります。

ルイゾッティは出だしから正確なリズムでキビキビと運びます。
少なくともプッチーニの優美さを強調する意図はなさそうです。

屋根裏部屋での若者のじゃれ合いは、これが幸いして実にテンポよく進みます。
私はいつもこのオペラの冒頭シーンの長さに退屈してしまうのですが、これならボヘミアンたちの夢があるのか無いのか分からない日常の戯言もほのぼのと楽しめます。

しかし、気になったのはラモン・ヴァルガスの声が他に埋もれてしまうこと。
声に潤いがなく音量もありません。

しかし、ゲオルギューが登場した際も「おや?」と思う響き。
いつもどおり完璧に歌っているのですが、それでいて「おや?」なのです。

どうやら舞台上にしつらえたこの屋根裏部屋がかなりデッドな空間である様子。
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特にテノールとソプラノに不利に聴こえます。

しかし、ゲオルギューとの二重唱ではラモン・ヴァルガスは負けっぱなしでやはり、声量の無さは間違いないようです。


第二幕は凄まじい人・人・人。
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この人ごみの中、二階建てセットの一階奥でドラマが進みます。
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METライブビューイングだから、細かいカメラワークで補ってくれますが、客席からでは誰と誰が何の駆け引きをしているのか、判別が非常に難しいだろうと思われます。
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しかし、いつも感じる以上にこのプログラムではカメラワークに難があります。

話の鍵を握る人物をカメラが捉えていないことが多々あります。
ムゼッタとパトロンのアルチンドロとマルチェッロの三角駆け引きが視覚的には完全に破綻しています。
エディターが「個」の見所を追うことにしか神経を使っていない様に思えます。


第三幕では屋根のない舞台で、やはり二人の声もノビノビとしています。
キビキビしたテンポは健在ですが、ゲオルギューは切々とよく歌い、ラモン・ヴァルガスも悪くありません。

しんしんと雪が降っています。
寒々として風情が良く出ていて秀逸です。
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花の季節に別れよう!は胸を打ちます。
ヴァルガスは下手ではありません。


第四幕はゲオルギューの独壇場です。
病人が朗々と歌う。
このジレンマをゲオルギューも随分と考えたと言っています。

弱々しくたどたどしく、しかし美しく印象深く。
この難題にゲオルギューは見事に答えています。

しかしここでもカメラが邪魔を。

ミミが息絶える瞬間は観客しか見ていないはず。
それをミミのクローズアップで捉えるので、ロドルフォも他の者も偶然それを見逃しているのが理解できません。

ストーリーを知っていても皆が平然としている事への違和感が湧いてしまうし、知らなければ全く意味不明なことは間違いありません。

また、ショナールがミミの絶命に気づく所もカット割りが多く意味不明になっています。

ああ、フラストレーションが。

ゲオルギューは素晴らしく、ヴァルガスもハイCは問題なく出ていて歌いまわしもさほど悪くなく、なによりテンポの良さで音楽というより演劇的な掛け合いの間を楽しめる良い舞台運びだったのですが。

それでも豪華なセットや衣装と、衒いもあざとさもない演出。それにテンポの良さで現代にも通じる若者のペーソスを良く感じ取れ、客席で見たかったと思える良い舞台でした。


ゲオルギューが「ミミが清純だとは思わない」と述べていたのは印象的でした。
わたしもミミが清純な女性だとは思いません。


[2011-3-27]