劇団東演 《ハムレット》
作:シェークスピア
翻案・演出・美術:ワレリー・ベリャコーヴィッチ
照明:V・クリモフ
音響:A・ロプホフ
衣装デザイン:ワレリー・ベリャコーヴィッチ
出演:
ハムレット=南保大樹
クローディアス=ワレリー・ヴェリャコーヴィッチ
ボローニアス=武正忠明(俳優座)
下北沢 本多劇場
2011-3-16
モスクワのユーゴザパト劇場の主催者であるワレリー・ヴェリャコーヴィッチ氏が《どん底》に続いて演出を手がけています。
舞台には天井からたくさんの円筒が吊るされていて、筒の内部をライティングすることで微妙に光が漏れて幻想的です。
それらの円筒が時には間仕切りの役割をしたり船のオールであったり大砲であったりするのですが、外からのライティングも巧みで、他に何もない舞台空間にたいへん効果的に動感を作り出していました。
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特徴的な動作が全体の基調として設定されています。
緊張感を持って歩いたり走ったりする事を示す動作や、強い感情を表すときの動作が様式化されているのです。
日本人には昔のアニメの忍者走りや《アイーン》に見えてしまい、笑いどころになってしまったようです。
私は《アイーン》をよく知らないので不気味で強い印象を残す動作に感じたのですが、大勢が忍者活劇のように素早く小刻みな足取りで上体を動かさずに移動する様には始めのうち滑稽さを感じてしまいました。
しかしそうした仕掛けや様式が全体に与えた印象を私は高く評価したいと思います。
とかく気が滅入りがちなシェークスピア劇の中でもとりわけ陰鬱で内向的なこの戯曲を、実に力強いエンターテイメントにしていたと感じました。
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ベリャコービッチ氏は日本語は全くわからないそうなので、言葉の音楽的抑揚やリズム感で表現させようとしたように感じます。
それが却って登場人物それぞれの思いを、格調高い表現よりも強く届けてくれました。
ともかく散々観客を(読者を)道連れに逡巡した挙句「そして誰もいなくなった」的に陰惨な幕切れをするこの作品を、娯楽的な教訓劇にしているように感じました。
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一つ苦言を言うと、BGMのボリュームが大き過ぎ役者のセリフが聞こえないことが多いのが気になりました。
しかし役者も照明も良い仕事をしていたと思います。
ハムレットの南保大樹さんは大熱演で、演目の大きさに全く負けていませんでした。
オフィーリア役はダブルキャストだったのですがこの日はユーゴザパト劇場のヤルリコワさん。
とても美しい人で、精神が崩壊していくさまを華麗な舞で表現してくれて大きな見所となっていました。
ベリャコーヴィッチ氏自らを含め何人かがユーゴザパト劇場から客演していますが、ロシア語のままです。
つまり日本語の演劇に突然ロシア語のセリフが出てくるわけです。
しかもクローディアスとオフィーリアはそれぞれかなり長いセリフがあります。
それを何とか観客に理解させる仕掛けを用意してあるのですが、却って舞台に対する注意が高まるのは面白い副作用です。
ロシア語と日本語のリズムやスピード感に違和感がないのも印象的でした。
ちなみに演出家でもあるベリャコーヴィッチ氏は演技をアドリブ的に変更するので、合わせるのがかなり大変だったそうです。
そうしたことも舞台の緊張感に結びついているのかも知れません。
一言で言うなら「変わったハムレット」ですが、スリル満点な見ごたえのある舞台でした。
そして、初日に東北地方太平洋沖地震に見舞われてしまった舞台でしたが、よくぞ勤めあげました。
大災害なのに文化・芸能などをやっている場合か、と私は思いません。
その道に一生を捧げた人間にとっては、それを続けるのが生きるということです。
役者に演じるな・音楽家に演奏するなと言うのは、サラリーマンに出社するなというのと同じことです。
またそれを享受する観衆も、それがあって精神や生活のバランスをとって難しい人生を生きているのです。
無くても済んでしまうお遊びという人もいれば決してそうではない人も多いのです。
そういう意味では野球も、大量の電力を使うナイターこそ控えるべきですが、開幕して良い試合をすることで被災者や生活に困難な人を元気づけるべきだと考えます。
困難な時に困難な表情をして俯いていなければ不謹慎だという考えに私は同意できません。
それでは精神も社会も経済も窒息してしまうでしょう。
[2011-3-16]