森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

エクサン・プロバンス音楽祭2009 ≪神々の黄昏≫

エクサン・プロバンス音楽祭2009
楽劇≪神々のたそがれ≫

演出:ステファヌ・ブロンシュウェグ
出演:
ジークフリート=ベン・ヘップナー
ブリュンヒルデ:カタリーナ・ダライマン
グンター:ゲルト・グロホウスキ
アルベリヒ:デール・デュジング
ハーゲン:ミハイル・ペトレンコ
グートルーネ:エンマ・ヴェッテル

2009年6月28・30日 7月9日

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語り部の役割をするノルンたち










ザルツブルク復活祭音楽祭と共催のプログラムです。
翌年早々同じプロダクションでザルツブルクの舞台に載るのだそうです。

通して観て最も感じるのは、

『いつもよりずっと短く感じる』

という事です。

歌手陣は見た目はダイナミックですが、歌が総じて柔らかく深く、リキみが無くて音楽的です。
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普通の男と女にしか見えない二人ではありますが・・

しかしオッターが可憐で弱く感じてしまう程ダライマンは強い声を持っているのだし、それと釣り合った他の面々もすこぶる強いノドを持っているわけです。

それだからこそ、ぶっきらぼうにならずにベルリン・フィルと溶け合った音楽を実現できるのでしょう。

そう、歌がオーケストラと完全に融け合っています。

ワーグナーが《楽劇》と名付けたのが納得できる舞台です。

オーケストラはバックミュージックでもあり、歌と共にセリフを語る演者でもあります。そのことをこれ程よく具現化した舞台は初めてです。

だから舞台装置がシンプル過ぎたり、ジークフリートブリュンヒルデがだらしなく着崩した普段着だったりしても、そんな事はどうでも良いのです。
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グンター、ジークフリート、グートルーネ

冷静に考えれば、ただのしょうがない俗物3人にしか思えないわけですが、衣装がいっそうそれを助長しています。

声と楽器が融け合いせめぎ合って、雄大な悲劇を美しく再現している、という所に感動できるのです。

私は実はサイモン・ラトルが優秀だとは思いつつあまり好みではありません。
音楽的エネルギーに満ちているのに、そのため却って存分に音楽を味わう前に先へ先へと進んでいってしまう。
そんな感覚を覚えるのです。ちなみにクライバーもそうでした。

しかしこのワーグナーは、しなやかさ・柔らかさ・強さ・大きさ、どれもが程よいバランスで高め引き締めあって、大変感動的な音楽になっています。

歌手陣も全く破綻なく、役者でもあり歌手でもあり楽器でもあるこの《楽劇》での役割をこなしています。

シンプルすぎる、という以外変わった演出もないこの舞台。
器楽畑から歌の世界に入った者にも納得の、手放しで賞賛できる感動的な舞台でした。

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ジークフリートの亡骸に接吻するブリュンヒルデの最後。

こんな演出でも感動に鳥肌がたちます。



[2011-1-26]