CD フィロメーナ・モレッティ/レッジョ・エミーリアの一夜
フィロメーナ・モレッティ/レッジョ・エミーリアの一夜
Filomena Moretti / Jeux Interdits & other famous guitar encores
録音:2008年11月、レッジョ・エミーリア、ゴルガンザ音楽堂におけるライブ録音
制作:TRANSART
輸入販売:株式会社 マーキュリー
HMVでちょっと試聴してみてすぐに気に入ってしまい衝動買いしてしまいました。
《アルハンブラの思い出》はギターが好きな者なら最も親しんだ曲ではないでしょうか。
それだけに自分の好きな演奏というのは固まってしまい、なかなかそれ以上の説得力を感じる演奏に出会うのが難しいものです。
私の場合初めてしっかりと通して聴いたのは、マリア・ルイサ・アニードのものです。
変幻自在のルバートによって心が揺り動かされる名演でした。
次はアレクサンドル・ラゴヤ。
これはトレモロが「3つずつ」に聞こえない流麗な演奏で、アニードと違いうっとりと聞き惚れるような演奏でした。
私にはこの二つが《アルハンブラの思い出》の両極であって、何十もの演奏を聴いてもこれ以上の感銘を得ることは難しかったのです。
モレッティの演奏は久しぶりに始めから最後までジックリと耳を傾ける事のできる演奏でした。
私は自分でこの曲を演奏する者として、「つながったトレモロ」に聞こえるように努めて来ました。
しかしモレッティはそうはしません。
ハッキリしっかりと、そして美しく「3つずつ」を紡いで行きます。
左手のポジション移動も無理にインテンポでこなそうとせず、慌てずに巧みなフレージングに組み入れてしまいます。
セゴヴィアに対するクラシック界からの批判を受けて「ギターでクラシック音楽の演奏スタイルを」という機運が高まったのは間違いとは言えないと思います。
愛する楽器で愛する音楽を演奏したいというのは当然の欲求でしょう。
しかし
旋律や和声に即したフレージングを心がけ、コブシを廃し拍子といくつかのルールに従ったアクセントの配置を守る。
四拍子なら「強弱中弱」。
そうしたクラシック演奏の「決まりごと」たちが、クラシックギター演奏を窮屈にして来た面も否定できないと思います。
そうした「頑張り」。ギターを知らない人から見たら「背伸び」が、モレッティの演奏スタイルには全く感じられません。
絶対にアカデミックな音楽教育は受けていないだろうと思ったのですが、音楽院を出たそうです。
しかし、その後キエザやオスカー・ギリアに師事したということですから、アカデミー臭が消えてしまったのでしょう。
そして彼女が鳴らす音楽はギターという楽器が歌いたがっているように歌わせてあげたような、楽器と奏者にとっての自然な呼吸が息づいた音楽なのです。
一曲目のアルハンブラ以後全ての演奏がそうしたスタンスで演奏されています。
バルエコやラッセルにも教わったそうですが、颯爽としたスケールや引き締まったリズムや声部の弾き分けを感じることはなく、どちらかと言えばセゴヴィアやパークニングのような暖かくマッタリとした演奏です。
しかし気まぐれさは全く感じることは有りません。
旋律の自然な抑揚・和声の色合い・リズムの特徴、そういった音楽の核心を愛情を持って上手にデフォルメして自然に聴かせます。
決して演奏行為を面白がらず、音楽そのものに対する愛が満ちているのを感じます。
だから、傾聴を促す愛すべき演奏になっているのです。
レゴンディやモンティのチャールダーシュでもその特徴のままですから、本当はかなりのフィジカルなのでしょう。
それにしても彼女の左手はすばらしい。
かなりの難曲を含む17曲のライブ演奏で、ギター弾きの私が聞いていてハラハラする事が全くありません。
ライブなのにビビリ音が全く聞こえず、全ての音がしっかりと鳴り切っています。
これは、リピートで聞きたくなる演奏です。
また、初めてクラシックギターというものに魅せられた昔の感興が蘇ってきます。
アルハンブラの想い出
ヴェルディの歌劇「椿姫」による幻想曲
アラビア奇想曲
ワルツop.8-4
神の愛に捧ぐもの
大聖堂 1.前奏曲(郷愁)
大聖堂 2.アンダンテ・レリジョーゾ
大聖堂 3.アレグロ・ソレンネ
レヴェリ=ノットゥルノ(夢想/夜想)op.19
12のスペイン舞曲集op.37~アンダルーサ
マヨルカop.202
性格的小品集op.92~朱色の塔
[2011-1-24]