森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ファツィオリでのシューマン : ヒューイット

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ダヴィッド同盟舞曲集 OP.6
ピアノ・ソナタ 第二番 OP.22

使用ピアノ:ファツィオリ
録音:2009年11月6日~9日

発売元:hyperion







1981年に創業したイタリアの新興ピアノメーカー、ファツィオリ(FAZIOLI)を使用しています。

ヒューイットのシューマンは音色の変化を際だたせることを意識し、音色で語ってくる演奏です。

非常にルバートが激しく元の譜面を想像するのが困難な程ですが、聴き手の方が音色と音価の即興性へ惹きつけられて心が正確な拍子を刻むことがなくなってしまうため、不自然な印象は受けないのです。

音楽は隅々までロマンチックな情熱が息づいていて緩むことがありません。
音色もルバートも情感を高める目的に振り向けられていて、緊張を強いることなく大変心地良い音楽です。

ピアノ・ソナタ第二番では金箔を撒き散らすような激しくきらめく音響を聴かせます。
大変指の回るピアニストだと分かります。
しかもアクロバチックな快感に堕してはいません。

しかし、あまりに情感を込めることに一本槍になり、即興的な演奏であるために、平静な心に興る繊細さや儚さ、あこがれへの距離感といったニュアンスが表現されてはいないと感じます。

それと、力強いフォルテが力強い音楽のためではなく、心の移ろいのために使用されているので、音楽全体としては力強さを持ってはいないと感じられます。

つい先日聴いたメジューエワはその儚さと力強さがありました。
逆にどこまでも甘美さを追求するヒューイットに対して、硬派な音楽に聞こえます。


さて、ファツィオリの音ですが、演奏者の音作りにもよると思いますがここでは

高音が大変まろやか。
低音の打撃感が少なく、しかししっかりと重量を感じさせる。
最低音から最高音まで均質で、和音が一つの音色に融け合う。

そういった印象を受けました。
発音体である弦と、木製の筐体で調音されたサウンドの両方が調和して響いてくるような印象です。

あまり力強く感じないのがヒューイットの音楽性のためか、ピアノの特質かは分かりません。

実はファツィオリをもう一枚、ザラフィアンツのノクターンを買ってありますので後日じっくり聴き込みたいと思います。


[2011-1-20]


補筆

後でライナーノーツを読みました。
アンジェラ・ヒューイット自身が書いています。

CDに収められた曲にまつわるロベルトとクララの手紙などが紹介されていて勉強にもなるけど、曲への感情移入を助ける内容のものです。

そのなかで私の感想に書いたようなことが彼女の所見として書かれていて、彼女の解釈がきちんと音になっていることが分かりました。

印象的だったのはトロイメライの解説で
"If ever an example is needed of how Schumann's music must not be played metronomically in four-square bars and even beats, this is it."
と書かれていたことです。

私は中学生の時初めて楽譜を見た時までこの曲の構造が分かりませんでした。まるで尺八の曲のように。
なんだか納得です。

[2011-1-21]