森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

CD ショパン:バラード メジューエワ

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ショパン:バラード(全4曲&舟歌)|メジューエワ

バラード 第1番 ト短調 OP.23
バラード 第2番 ト短調 OP.38
バラード 第3番 ト短調 OP.47
子守唄 変ニ長調 OP.57
バラード 第4番 ト短調 OP.52

ピアノ:イリーナ・メジューエワ

録音:2006年6月22~23日 新川文化ホール
発売元:若林工房


2006年、演奏に力感と風格が備わったメジューエワ
そのバラードを聴き始めてまず感じたのは、オイシいフレーズをオイシく弾いてつなげて行くという、演奏家も聴き手も求める音楽作りとは無縁ということです。

ショートカットで聴きたい部分を抜き出して聴いても、聴きたい通りの音楽作りになっていません。

だからショップの試聴機などで聴く人、買ったCDも好きな部分を先取りで聴いてしまうせっかちな人。そういう人たちは、ノれない演奏と感じてしまうのではないでしょうか?

メジューエワはバラードを自分の責任において、あたかも指揮者が交響曲を捌くが如く全ての声部バランスを構成し、演出家の演技指導の如く全てのフレーズの役割を明確にします。

だから、始めの一音から腰をすえて聴いていくと、つまみ食いで肩透かしを食った音たちが実に雄弁に語っているのを感じ取ることができるのです。

そして、右手の4や5の指で甘い旋律を際立たせるばかりでなく、左手にも、1や2の音たちにも確固たる存在意義を与え、旋律との主従関係を超えた有機的な関係を持たせることで、聴き手が全部の音を俯瞰できたとき初めて、そこに表現された精神と情緒の深さを知ることになります。


バラード第1番はまさにそうしたシンフォニックな表現の代表です。
いつもの甘さ、いつもの雄魂さではない、新しい意義を与えられた音たちが新しい響き合いを聴かせるのです。

それが単なる思いつきに聴こえる演奏なら世にあまたあります。
しかしメジューエワの演奏はそうではありません。
バッハやベートーヴェンのような普遍の精神と情緒を雄弁に語っているのです。


バラード第2番も、さり気無く淡白とさえ感じられる出だしが、この曲のストーリー全体のキーになっているのです。
聴き終わったときにずっしりと胸にこたえるバラード2番です。

しかし、第3番はサロン的な洒脱さがきっちりと表現されていて、メジューエワが単なる重厚長大趣味でないことがよくわかる演奏です。
民族的なリズムも活きています。


それにしても、子守唄のなんと美しいこと!
音たちがデリケートにぶつかり合う度に新しい色合いが次々と弾け出て、ピアノからこんな美しいトーンが出るとはいったいどうしたことだろうと不思議でなりません。
ただし、子守唄にはなっていません。
この美しい響きの粒たちは、人の感覚を鋭敏にさせてしまいます。眠ることが出来るでしょうか?


そしてバラード第4番もデリカシーの極地です。
子守唄では音のぶつかり合いと融け合いが美しかったのですが、これは単音たちがこの上もなく美しいのです。
ピアニシモで柔らかくデリケートな音の流れを、鋭利な美音で弾かれると、思わずため息が出てしまいます。

音楽ファンの中にはオーディオ装置の役割を軽視する人が多くいますが、この音楽は音が語っているので、間違った装置では音楽そのものが聴こえないことになってしまいます。

舟歌も造形の深い立体的で重厚な演奏です。
音が美しくシンフォニックな演奏で、舟歌というより深い音の森を散策しているような気分になる演奏です。


どの演奏も、全く見事というほかありません。


[2011-1-9]