CD ベートーヴェン《テンペスト》&シューマン《幻想曲》|メジューエワ
幻想曲 ハ長調 OP.17
ピアノ:
イリーナ・メジューエワ
録音:
2003年10月23~24日 2004年6月18日
新川文化ホール
発売元:
若林工房
作品番号17でのカップリングは意図があってのことでしょうか。
《テンペスト》
このころの彼女の演奏を聴くと以前の「勉強中」といった佇まいのものから、表現意欲を開放した物がまばらに見られるのです。
テンポの乱れや音色のバラツキがなく地に足の着いた大変堂々とした演奏です。
彼女は拍節の伸び縮みが激しいのですが、テンポの揺れとして感じられるのではなく細部の表現として感じられ、音楽の進行速度としては安定感があるのが美点です。
しかしその美点が全体として自己主張が少なく感じられてしまう元にもなっています。
どことなく、『明日はベートーヴェン先生の試験』 とでもいうような印象を感じてしまいます。
良い演奏なのですが、世の中にたくさんある「良い演奏」から抜きん出る物を感じづらいのです。
《幻想曲 ハ長調》
以前のDENONへの録音から6年たったメジューエワの二度目の録音です。
以前はとびきりの美音で初々しいロマンを聴かせてくれましたが今回はどうでしょう?
聴いてみて驚きました。
テンペストとはうって変わって、彼女の情念を全開にしています。
ロマンというものがライナーノートにあるように遠くのものへ想いを馳せる憧憬の念だとしたら、ここでの彼女は今腕の中にあるものに対して全力で愛を訴えているような激しさです。
美しい音色を保って、ピアノを鳴らしきることをあまりしない彼女が、激情に任せて鍵盤をブッ叩きまくるところを初めて聴きました。
この曲はシューマンがクララと結婚を約束しながらも、クララの父からの猛反対によって会うことさえままならないという時期に作曲されました。
シューマンはクララに当てた手紙に、
「あなたへの抑えがたい思慕の念を込めました」
と書いています。
とすればシューマンにとってこの曲のロマンは、遠くはあるけれど現実に存在し、見て触れて、困難を乗り越えさえすれば自分のものにできる対象を表現していることになります。
「自分の個性が音楽そのものを上回ってしまわないように、常に譜面を置き戒めとする。」
このように言うメジューエワが情念に身を任せた演奏をするだろうか?
そういう疑問も浮かびました。
しかし上に述べたこの曲の生い立ちを考えれば、これが『美しくて情熱的な音楽』ではなく、シューマンにとってドイツ語よりも巧みな言語である『音楽』で語ったクララへの愛の言葉であって、シューマンの情熱そのものであったでしょう。
そうとすればメジューエワの何時にない演奏姿勢も理解できます。
もちろん彼女がそう解釈したかどうか、私が知る由もありませんが。
このころ彼女が禁断の恋でもしていたかと思う程の激しさです。
果てしなく続くと思えるような間の後のかそけき弱音。
限りなく柔らかなカンタービレ。
極端に鋭いスタッカート。
鐘を打つように強烈な低音の打鍵。
そして音色を崩してでも強く打ち放つ和音。
その表現の幅によって彼女の息づかい、腹筋の緊張、首のかしげ方などが見えて来そうな程、この演奏からは生身の演奏家の実在感が迫って来ます、
音楽の形がどう、スタンダードな聞かせ所がこうという細かい批評をはね飛ばして、その気迫に圧倒され、最後には涙が溢れてきてしまいました。
[2011-1-10]