森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

デセイの《夢遊病の女》 二つの公演から

デセイの《夢遊病の女》(ベルリーニ)

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2009年3月21日










演 出:メアリー・ジマーマン
合 唱;メトロポリタン歌劇場合唱団
バレエ:メトロポリタン歌劇場バレエ
出 演:
エルヴィーノ=ファン・ディエゴ・フローレス
ロドルフォ伯爵=ミケーレ・ペルトゥージ
リーザ=ジェニファー・ブラック
アレッシオ=ジェレミー・ギャリオン
テレーザ=ジェーン・バンネル
 
メットライブビューイング

演出が変わっていて、ニューヨークのユニオン・スクウェアにある稽古場で《夢遊病の女》を稽古中、という設定です。


一番感銘を受けたのはファン・ディエゴ・フローレスです。

眉間に集まった響きの芯に軽やかにヴェールをまとったような美声。
それを爽やかにしなやかに駆使して、どんな難所も力まず官能的に歌いこないます。
生来の容姿も良く立ち振る舞いも優雅。
素晴らしいテノールです。

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デセイも絶好調ですが、少し意が余りすぎて歌に元気がありすぎるように感じました。
つまり、彼女は夢遊病の女であって夢うつつで歌ったり、濡れ衣を着せられて絶望してしまったりするのですが、ちょっと元気すぎやしないか。
そんな印象を持ってしまいました。

もちろん、しおれた雰囲気で歌うには歌自体が派手過ぎるのですが彼女にはそれが出来るはずです。


伯爵のミケーレ・ペルトゥージは明るい音色のバスで、重厚さとともに官能性も備えています。
表現の幅が大変広いと感じました。


芸達者が集まって申し分ないはずなのですが、全体としてはなにか落ち着きのない、座りの悪い印象を受けました。
何故でしょう。
プロンプターが叫ぶ声が度々聴こえてきますから、指揮者が統率しにくい体制だったのでしょうか?

また、演出の必然性は全く感じられませんでした。
それどころか、舞台の構図として求心力がなく演奏と共に散漫な印象を強めていたと感じます。


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2010年2月12日、15日 
パリ・オペラ座(バスチーユ)










演出・美術・照明:マルコ・アルトゥーロ・マレッリ
合 唱:パリ・オペラ座合唱団
出 演:
エルヴィーノ=ハビエル・カマレナ
ロドルフォ伯爵=ミケーレ・ペルトゥージ
リーザ=マリー・アドリーヌ・アンリ
アレッシオ=ナウエル・ディ・ピエロ
テレーザ:コルネリア・オンチョユ



デセイのコンディションが悪く、声が疲れています。
しかしそれをカバーするためか、非常に集中力の高い演技と歌唱の表情づけで引き込まれます。

エルヴィーノのハビエル・カマレナは申し分なく歌えているのですが、ファン・ディエゴ・フローレスと比べてしまうと行儀が良すぎるように聴こえてしまいます。

ただ何よりも、上のメトと同じ指揮者であるにもかかわらず舞台全体を掌握し、音楽や演技の呼吸や間を歌手とコーラスとオーケストラが共有し素晴らしい一体感を感じます。

個々の要素ではメトの方が出来がよいのですが、オペラ全体の心に迫る力はこのパリ・オペラ座の方が遥かに上だと感じました。

演出はオーソドックスで、美しさも華やかさもあり舞台に注目を惹きつけるものでした。

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喜びを表現するアミーナのワンマンショー。


[2010-10-6]