森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

おお悲しい - アンドレアス・ショル

イメージ 1アンドレアス・ショル
カウンターテナー リサイタル
2010/3/12 武蔵野市民会館小ホール

NHKの放送を録画視聴










カウンターテナーというと、馴染みのない人には、「風変わりな芸へのある種の慣れ」を必要とするものです。
あまりに非日常的なものだから。

しかし、アンドレアス・ショルは全く違います。
彼の歌い方も声も全く自然で、初めて接するときから心の奥深くに染み入ってきます。

それは声というより風が森を吹き抜ける音のようであり、歌唱というより岩清水の流れのようです。
私が聴いて来た人間の声で最も美しいものの一つ、と言い切れます。

声と歌い方が完全に合わさって、音の力学と心の力学に寄り添うように歌われる詩、というより奏でられる音。
その美しさにため息がでるばかりです。

彼の声で歌われると、人間の心というより自然の摂理を歌われているようで、無性に切なくなるこの民謡。様々なヴァリエーションがあるようですが、ここで彼が歌っている歌詞をディクテーションしてみました。
なんと悲しい詩でしょう・・・ 心が打ちひしがれそうになります。

おお悲しい

その海は広く、私には渡ることができない。
それに、飛んで行く翼も私にはない。
船をください。二人を運ぶための船を。
それで、愛する人と私、二人で漕いで行こう。

ある日草原で、
美しい花や陽気な花を積みながら、
赤や青の花を積みながら、
少し考えてみた。愛にできることは何だろうって。

樫の木に背中でもたれかかっていた。
彼を頼もしい木だと思っていたのに
曲がり始めて、やがて折れてしまった。
そして私の偽りの恋人も同じように折れてしまった。

一隻の船があって、それで彼女は海へ乗り出す。
彼女が多くの荷を積むので、船は深く沈みこんでいた。
でも私の愛ほどの深さではない。
その深さに、沈むか泳ぐか、わからないほどだ。

ああ、愛は麗しく、愛は素晴らしい、
新しいうちは宝石のようだ。
だけど古くなると固く冷えて
やがて消えてなくなってしまう。まるで朝露のように。
                                                          (Giddy訳)


The water is wide

The water is wide, I cannot get over,
and Neither have I the wings to fly.
Give me a boat, that to carry two,
And both shall row, my love and I.

Down in the meadow the other day,
agathering flowers both fine and gay,
agathering flowers both red and blue,
I little thought what love can do.

I leant my back up against an oak
thinking that he was a trusty tree,
but first he bent and then he broke
And so did my false love to me.

A ship there is and she sails the sea,
She's loaded deep as deep can be,
But not so deep as the love I'm in
I know not if I sink or swim.

Oh love is handsome and love is fine
And love is a jewel when while it is new
but when it is old it grows waxe cold
And fades away like morning dew.

[2010-7-28]