森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

救済の肉じゃが

精神的に非常に大きな困難を感じているときは、何かをしないでいると病んでしまいますから、何かするわけです。

特に喜怒哀楽から抜け出したい時。
私にとって楽器を演奏することは、あまりに慣れ親しんだ行為なので、そういう役にはたちません。
むしろイマジネーションが膨らみ、余計に病んでしまう方へ突き進んでしまいます。

なので、今日は料理をすることにしました。
あまりチャレンジする心境ではありません。
料理という作業に没頭したいので。
ですから、肉じゃが。

刃物を扱う緊張感を味わいたかったので、ジャガイモも人参もピーラーを使わず包丁で皮剥きをします。

しかし、マーフィー岡田のステンレス包丁はあぶない。
ジャガイモでなく親指の薄皮が剥けるところが常にイメージされる鋭利さ。シュッシュッ、とイイカンジ。

妻が見かねて「ピーラーの方が楽だよ」
「わかってる!包丁もピーラーも俺が買ったんだから。」


具材の大きさも分量も味付けも何もかもが、自分の感性どおり、思いの儘。料理はこれがイイ。

切ったり茹でたり炒めたり、また茹でたりして、そして完成。

ジャガイモが大きく、全体がしょっぱすぎず、色合いのコントラストが楽しめる。そういう、今食べたかった肉じゃががまさに完成。(インゲンがちょっと失敗。火を通しすぎました。)

ちゃんとジャガイモの面取りしたから、汁が濁ってないよ!
イメージ 1

火の通り方も良い。
ジャガイモがホクホク。味が染み込みすぎていなくて香りタップリ。
イメージ 2

満足して食べると、しばらくは幸せ感に包まれる。が、また元の精神的困難に回帰。

そして妻が「こんなに上手に作られて、今まで私のしてきたことは何?」と泣く。本気で泣いている。
ヤメテくれ。今は。受け止める力が、無い。


[2010-7-10]