森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

バレンボイムのショパン

今日はバレンボイムショパンについて感じたことを少し書き留めます。

2010年2月28日、ワルシャワで行われたショパン生誕200年記念ガラ・コンサートの収録です。
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幻想曲 ヘ短調 Op.49
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.35
華麗な円舞曲 ヘ長調 Op.34-3
ワルツ イ短調 Op.34-2
ワルツ 嬰ハ短調 Op.64-2
子守唄 変ニ長調 Op.57
ポロネーズ 変イ長調 Op.53 「英雄」
ワルツ Op.64-1 「子犬のワルツ」



一般にはバレンボイムショパンを良く弾くとは考えられていないのではないでしょうか?
何枚か発売されたCDもあまり良い評判を聞きません。

ではこの演奏はどうでしょう?

一聴していつものバレンボイムの音です。ダイナミックではあるけれどどこか脆弱性を感じるガラス細工のような音。
それは『いつものショパン』を求めるにはちょっと違う個性なのかも知れません。

ここでバレンボイムが弾くショパンは、旋律の歌謡性も緻密なソノリティも一旦バラバラに分解されて、キラキラと光る玉ガラスの集まりのように再構成されています。
いつも聴く歌や音色や余韻ではなくなっています。
音色や音の粒立ちがむしろリストのように聴こえます。

しかしバレンボイムの若い頃からの資質である、メランコリーやノスタルジーが反射しあう光の中に強く弱くたゆたう様は、美しく感動的だと私は感じます。

私は彼のこういう心情の吐露のような演奏を聴くといつも、傍らのジャッキー(ジャクリーヌ・デュプレ)にピアノで愛の囁きを弾いて聴かせるプライベート映像が思い起こされて、切なくなってきます。

もうずっと以前ですがバレンボイムがパリ管弦楽団と来日し、サントリーホールで《法悦の詩》と《オルガン付き》という派手なプログラムで会場を湧かせた後、拍手が鳴り止まなくなってしまい、楽団が退場しヤマ台も収納され挙句には舞台照明が落とされてしまった後になってピアノを引っ張り出してきて、薄暗い中で何曲か演奏してくれたということがあったのです。

その演奏が当日の曲目と裏腹に実に切なく優しく、私の横にいた妻は感極まって泣いていましたし、会場全てが涙ぐんでいるように感じられました。そしてバレンボイム自身も目に涙を溜めて会場に感謝の眼差しを送っていました。

そういう愛を感じさせる資質が彼にはあるのだと思います。

彼のショパンは、ショパンの境遇と個性を表現してはいないかも知れないけど、優しく美しく愛に満ちていることに間違いはありません。

ただ《華麗な円舞曲》や《英雄ポロネーズ》ではそういう資質が活かされず、違和感が先に出てしまうことも否めないのですが、他の美しい演奏まで否定する理由にはなりません。

私はバレンボイムショパンが好きです。
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[2010-5-16]