森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

スクロヴァチェフスキ さよならコンサート

読売日本交響楽団 特別演奏会 2010年3月25日
東京オペラシティコンサートホール
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とうとうスクロヴァチェフスキが読響の任期を終えます。
最後(本日25日と明日26日)は得意のブルックナーの8番となりました。

読売日響との毎回のコンサートが、まるでホールが寺院となり、私たちをどこか別世界に誘うような特別な興奮を私の内部に生じさせたのです。」(~月刊オーケストラ3月号)

読響は味のあるオーケストラだし、指揮者に陰険な態度を取るとはあまり聞かないので、スクロヴァチェフスキは充実した指揮活動ができたのでしょう。

会場は9割以上埋まっていて、超満員状態です。
演奏中の客席ノイズが例外的に少なく、聴衆のほとんどが特別な演奏会であるという意識を共有していることが窺われます。

演奏は彼のブルックナーの特徴がそのまま出ています。
無理に引き延ばして殊更に雄大さを演出しない。
テンポが揺れるが決して粘らない。
表現意図がはっきりしており、微妙な陰影と言うものはあまり無い。
熱気のある表現と思わせながら、冷静に演出的仕掛けを実行している。
決然としたアゴーギクだが音楽が柔らかい。柔らかさの節目がゴツゴツしている。不思議。

実は私はスクロヴァチェフスキのブルックナーがそれほど好きではないのです。
無理にでも雄大に演奏して欲しい。人間的なのか神聖なのか、そのどちらも追求したい。演出の種明かしをして欲しくない。
そんな欲張りな願いをスクロヴァチェフスキはあっさりとかわして、私の好みとは全く違うスタイルで物凄い訴求力のある演奏をします。

今日のブル8は始めは丸く柔らかく、ホールの特性のせいもあって暖色系の響きで飽和したような印象でした。

第2楽章は私は剛直な演奏が好きなのだけど、やはり強いアゴーギクなのに何故か角が丸まった印象です。

しかし第3楽章は天国的な響きが素晴らしく、この地上に幸福のグラデーションが現出したことを奇妙な体験に感じるほどでした。

そして第3楽章の終盤でテーマが最強音で奏されたところから第4楽章を通して、切羽詰ったような緊張感が漲ってきて、キビキビしながらも聴きごたえのある演奏となりました。

コーダの上昇音形で突然スクロヴァチェフスキのフェアウェルコンサートの様に聴こえてきて切なくなってしまい、最後は彼の旅立ちのファンファーレに思えてしまって急に涙が出てきてしまいました。

レコードやCDが極端に少ないのに何故かカルト的に好きだったスクロヴァチェフスキ。
朝のFM番組でモーニング娘。中澤裕子さんを苦しめたスクロヴァチェフスキ。

終演後の万雷の拍手がアンコールのためではなく聴衆の感謝の表明であるかのような暖かい音色に聞こえました。
団員が退席した後までスタンディングオベーションでした。
スクロヴァチェフスキはこんなに愛されていたんですね。


[2010-3-25]