森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

グランシップ開館10周年記念事業 オペラ《椿姫》

グランシップ開館10周年記念事業 オペラ《椿姫》
演出・照明・衣裳デザイン:鈴木忠志
指揮:飯森範親
合唱:藤原歌劇団合唱部
助演:SPAC
ダンス:Noism1(振付/金森穣)
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団
出演:
ヴィオレッタ=中丸 三千繪
アルフレード=佐野 成宏
ジェルモン=堀内 康雄
2009年12月11,12日 グランシップ静岡中ホール「大地」
テレビ放送(BS-TBS)を録画視聴


民放でオペラをやるなんて思ってなくて第1幕を見逃してしまいました。第2幕からの感想であることをお断りしておきます。

まず演出が面白い。
ジュゼッペ・ヴェルディが常に舞台下手のライティングビューローで筆を走らせています。
この演出のキモは、アルフレードがそのヴェルディの分身で、全てはヴェルディのイマジネーションの中の出来事であることを表現したところです。
ヴェルディはこのオペラを創作したのですから当たり前と言えば当たり前なのですが・・その心象として幻想的に描いています。

ヴィオレッタの中丸三千繪さんはよくこのオペラを支えたと思いますが、終盤には消耗の激しいのが見て取れ、西洋の筋骨隆々たるソプラノ歌手たちの様にはいかない印象です。

そうした本筋とは違う緊迫感と、絶対に向かい合ってコミュニケーションをとらない演出のため、ストレスを感じる舞台でした。

イメージ 1とにかく、向かい合わない。

イメージ 2誰も彼もが、演技によって関係性を示すことがない。

イメージ 3中丸さんは演出家から「とにかく観客席から絶対に目をそらすな」ときつく指示されていたに違いありません。
 
久々のアルフレードとの再開のシーンでも、両腕を差し伸べながら横歩きです。
 
他の登場人物も舞台を移動するとき以外は正面を向いたままですが、ヴィオレッタは横移動になるので、すっ転ばないかと心配になるほどです。。


おそらく、主観を備えているのがヴェルディただ1人であって、それを観客に置き換え、全ての登場人物が主観=観客との対話である、というサインなのでしょう。

しかしそういう意図とは裏腹に、登場人物が 『話すオブジェ』 と化したように見えてしまい、劇的ダイナミズムの喪失が大きくマイナスしていたように思います。

しかも演劇で良く見た光景のなので目新しくは感じないのです。
この人間関係の濃いオペラで一人称的な心象を見せられて「きついな」と感じたのが正直なところです。

各出演者もがんばっていました、演奏会形式なら過不足ない歌唱だったと思います。
東フィルはオペラにもヴェルディにも慣れているので立派な演奏で、むしろ歌がオケに埋もれがちだったようです。


非常にネガティブな感想になりましたが、始めから歌ってばかりの『演劇』で、歌劇《ラ・トラヴィアータ》ではないんだ、と割り切って見始めれば、おそらく感心できただろうと感じます。
プロダクションとしては力作だと思います。

通常のオペラとしては終了してから、ペンを進めるヴェルディの背後で絶命したヴィオレッタが天界へか、心象の外へか、去っていくところが演出として付け加えられていて、美しく効果的でした。
イメージ 4

イメージ 5
心に残る美しいラストシーンです。


[2010-3-14]