森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

CD評:ベートーヴェン ピアノソナタ集-4(イリーナ・メジューエワ)

イメージ 1ベートーヴェン ピアノソナタ集-4
ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 作品10の3
ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 作品28
ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31の2《テンペスト
ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 作品106《ハンマークラヴィーア》
ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
ピアノ:イリーナ・メジューエワ
録音:2008/12, 2009/1,3,4,5 新川文化ホール
発売元:若林工房


第7番 ニ長調 作品10の3

第7番は優雅で愛らしい内容に比べてややぶっきらぼうな始まり方をする曲ですが、メジューエワはとても軽快なアーティキュレーションで魅力たっぷりに開始します。

この第1楽章には彼女がいつも深刻な曲で見せる苦悩の哲人というような面持ちは微塵も無く、一音一音噛みしめるような演奏スタイルも採らず、軽やかで活き活きとしたテンポで生命力に溢れ返った音楽を披露してくれます。

物凄く正確なタッチなのだけど丁寧で折り目正しい印象はなく、快活に弾きまくっているような爽快感を感じます。
この10年の彼女の深まりは尋常ではないけど、高まりもまたそうであったのだとわかる第1楽章です。

第2楽章も全くだらけることなく、しかし優雅で優しい憂いと強さを同居させて充実した緩徐楽章となっています。

その第2楽章の荘厳な終了に導かれる第3楽章の明るく優しいメヌエットが返って切なく胸に迫ってきます。
このコントラストが見事で、本当にこの演奏が愛おしくてなりません。

そして疑問の音形で始まる第4楽章のロンドが過去も未来もひっくるめて、まるでバロック舞曲の終曲ドゥーブルのような前向きな力で、ただし優しく、全体をまとめ上げます。

この第7番だけで十分すぎる喜びを感じることができて、次の曲へ聴き進めるのが惜しいような思いです。

第15番 ニ長調 作品28

第7番と同じ調性で書かれた第15番はやはり似たような資質を持った曲ですが、こちらはより優しくて暖かい曲にふさわしく、おっとりと柔らかく演奏しています。

第2楽章は少し速めに、しかし極めて正確な左手のタッチで落ち着きと動感をうまくバランスさせています。

打って変わって第3楽章は、スケルツォといっても独り言をつぶやくような切れ切れになった音形が並ぶ曲ですが、敢えて前のめりのテンポで落ち着きの無さを演出しています。

第4楽章はテクニカルなパッセージが並ぶピアニズムの曲ですが、メジューエワは決して平和を乱すような派手さを演出することはありません。

この曲のベストの一つで、手放しで賞賛できる演奏です。

第17番 ニ短調 作品31の2《テンペスト

出だしのアルペジオのバラつかせ方がうまく、たった1小節で極めて幻想的な印象を表しています。今まで何十回も聴いたこの曲の演奏の中で最も自然で物問いたげな開始です。

やたらとリリカルだったり攻撃的だったりする事がなく、疑問や苦悩や苛立ちをニュアンスたっぷりに混ぜ合わせてさらに神秘のベールを被せたような演奏になっています。

第2楽章の中庸さは第3楽章を際立たせるために極めて重要ですが、アダージョという速度でこの長くて取り止めの無い楽章を維持するのは大変です。
メジューエワは精密なタッチによる音型の弾き分けで、ドラマの少ない風景を退屈させることなく描きこんでいます。

だからこそこの第3楽章がいっそう活き活きとして聴こえるのです。
求心力を備えたリリシズムというものは力技で出せるものではありません。激情も高まる一方では子供じみたパフォーマンスに堕してしまいます。
その点メジューエワはこれ見よがしなパフォーマンスとは無縁です。真に成熟した芸術家であることを存分に示してくれます。
pで幕を閉じるこの《テンペスト》に実にふさわしいタッチとドラマ設計です。

第29番 変ロ長調 作品106《ハンマークラヴィーア》

誰でもこの曲を聴くときは、出だしの二音で自分好みかそうでないかをある程度判定してしまうのではないでしょうか?
メジューエワは《ハンマー》というイメージにこだわらず、実に堂々たる開始を示します。
具体的には始めの低音、B1の音価をややタップリとって響かせてからf-b-d1の和音を打ちます。
そうすることで攻撃性よりも安定感と強さが際立ち、ゴージャスな印象となるのです。
しかし決して力感が不足しているわけではありません。巧みなアゴーギクを駆使して立体感と動感が豊かさを持った迫力に結実しています。

第2楽章は運動エネルギーに満ちた第1楽章と精神性の第3楽章の間で、短いながらもしっかりとした役割を果たさなければなりません。
単純な喜怒哀楽の情緒で表せないこういう音楽もメジューエワは十分に魅力的に弾く資質を備えています。

第3楽章はメジューエワという演奏家の変化を感じることができます。
これまで彼女はこうした曲は内へうちへと向かって個人的な想念の世界に浸っていました。息苦しいほどの重々しさが魅力でもあり、苦手とした人もいるでしょう。
今回は感性の振れ幅が大きく器楽曲としての演出も嫌うことなく、深い情感に気高さも獲得しています。

ベートーヴェンが出版直前に加えたという冒頭の2音は、タップリと予感めいた弾き方ですが、それ以後はメジューエワとしては以外と淡々と進んでいきます。

この長大な楽章の演奏時間を見てみると

バックハウス 16分31秒
ポリーニ 17分12秒
メジューエワ 18分44秒
ギレリス 19分50秒
エッシェンバッハは極端で 25分17秒

と,やや遅めという程度です。
それなのにどうしてか、メジューエワの演奏は急いでいるように聴こえるのですが、本来彼女が粘ろうとする場所でそうせずに流すことが多いような気がします。
普通のソナタ一曲分もある長い楽章で彼女流の粘りを聴かせると重すぎると考えたのでしょうか?
しかし、声部の分離と弾き分け、フレーズの明確な表情付けによって音楽の輪郭がしっかりとしており決して茫洋と流れる事がなく、何十分でも求心力を保てると思うのですが・・

第4楽章はバッハを得意とするメジューエワの面目躍如たる名演だと思います。

この楽章は楽譜を見ただけで、原理原則を遥かに飛び越えたフーガの書法と、無数の変化記号たちがいったいどこから生まれてくるのだろうと、ベートーヴェンのイマジネーションの凄まじさに圧倒されます。
この圧倒的な音楽を聴衆として受け止めるだけでも相当な覚悟を要すると思わせるのですが、メジューエワは水を得た魚のごとく心も指も跳ね回っています。

私はこの曲のように人の想念の有象無象が清澄な美として昇華するような気高さというものは人間が精神文化を磨き上げて完成させた感性だと思うのです。こればかりはポップスからもジャズからも得られない、クラシック特有の芸術性です。
それを彼女は学習して身に付けたと言うより、内からどんどん湧き上がってくるように演奏するのです。

もう私の批評能力の枠を超えてただ、この人は天才なんだな、と思考停止に陥りそうです。

第32番 ハ短調 作品111

さて、実は私はこのCDに最も期待していたのがこの曲です。
前の録音の31番がとてつもない名演だったからです。

第1楽章では強力なダイナミズムが聴かれますが、音の粒立ちをコントロールし声部の弾き分けを明確にして、ゴツゴツした感じにならず重層的な音響の絡み合いによる極めて複雑で高度な内容を感じさせます。

第2楽章は29番の第3楽章と同様で、彼女にしては沈潜の度合いが薄く感じます。

曲全体を支配する付点音符になりきらない(2+1)のリズムを忠実に弾いています。付点に近く弾くと、ただのメランコリーが走りながら泣くような切なさになるのだと思いますが、そうはしていません。
イメージ 2それに例えば41小節のC-H-C-Hは自然とH-Cにスラーがかかるのものですが、メジューエワは楽譜どおりH-Cのスラーを排除し、それどころかわざわざHとCを切るフレージングを施しています。
このせいで、メランコリーになるはずのこの変奏がすこし硬質になっています。

こうした譜面に対するストイシズムが全編に貫かれていて、その上にロマンを構築していくのが、ここでの彼女の演奏姿勢のようです。

個人的な情念の吐露から、より普遍的な輝きへの途上と考えることもできますが、少し失ったものが惜しい気もします。

残る違和感・・・

それと・・・
まさかとは思うけど、DISC2の29番と32番を合わせて73分50秒・・・
まさかそういう理由で、29番の第3楽章と32番の第2楽章を急いだとは考えたくありませんが、その可能性を勘ぐりたくなるようなニュアンス-据わりの悪さ-を感じたのです。

まとめ

総合的に見て第7番・第15番は文句なしの名演で、この演奏から幸せをもらえることを心の底から感謝したい気持ちです。

第17番は佳演ですが、私個人が曲に飽きてしまっていて、新鮮さを取り戻せるまでの力は感じられませんでした。(なんと投げやりな・・プロの評論家でなくて良かった。)

第29番と第32番は上記の違和感を除けば名演です。
第29番は1・4の両楽章が圧倒的名演だと思います。
第32番は実に惜しい!もっと彼女が自分を信じてのめり込んだ第2楽章アリエッタを聴いてみたい。それだけが切実に感じられます。(ただの私の思い込みかもしれないのだけど)


[2010-3-7]