森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

プリズンホテル 3 冬 (浅田次郎)

イメージ 1プリズンホテル 3 冬
浅田次郎
集英社文庫

今回は第1巻と同じように、沢山のワケアリグループが同宿します。

それぞれの抱えるシガラミがとても奇妙だったりおかしかったり考えさせられたりしますが、さらにそれが交差しあって複雑な交響曲のように豊かに響く300ページになっています。

このプリズンホテルは基調がコメディなのですが浅田次郎のギャグセンスは現代的とは言えないようです。クレージーキャッツのようなズッコケギャグの印象です。

しかし、シチュエーションそのものが荒唐無稽で極端なのでセリフ回しの古臭さは味として受け止めておきましょう。

専門分野の詳細な取材調査でリアリティーをもたせ、語り口の巧みさでうならせ、時々しょうもないギャグで和ませる。そして最後にはお涙頂戴・・と。
このあざとさをあざといとも思えず、受け付けない人もいるようです。
私はモードチェンジと割り切りが得意なので(ドストエフスキーの《地下室の手記》と山上たつひこの《がきデカ》を交互に読めます。バッハとバックストリートボーイズだって平気ですね)大変楽しめます。逆に言うと、読む人を選ぶのかも知れません。

全ての登場人物の内唯一『ぼく』という一人称を許された主人公である、《木戸孝之助》が最もおぞましい外道です。とにかく男女関係なく、子供をも殴る蹴る張り倒す、言葉のナイフでメッタ刺しにする。気に入らない相手には無言電話をかけまくる。生い立ちは哀れではあるけど私には決して擁護する気にはなれない男です。

この人物を主人公にするということは、もう完全に《狙っている》と考えざるを得ません。
実際にこの3巻の最後で誰もが『やっぱり』と思うであろうプロットが用意されています。
今改めてその辺りだけを読み返すと切なくなるのですが、流れの中では『いいかげんにしろ』と言いたくなったのが事実です。
少しだけ、浅田次郎と私の間で人情のボリュームが合わなかったのでしょう。

しかしこの狂想曲は途中でやめてしまうことができません。とてつもないリズムとモチベーションを持って迫ってきます。

ネガティブな感想を述べてしまいましたが結局、最後となる第4巻でこのモチーフをどういうコーダで締めくくってくれるか、見届けないわけには行かないという熱中のしようです。



[2010-2-20]